「誘拐の掟」

ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズは五、六冊を読むばかりで、それもずいぶんご無沙汰している。これでハードボイルドファンを称するのはおこがましいかもしれないけれど、ひとえにレイモンド・チャンドラーに偏した結果であって、大本のところではハードボイルドファンであると自認している。だからいくらチャンドラーを偏愛していても「誘拐の掟」でスカダーがスクリーンに登場するとなるとじっとしていられない。
昔のはなしでいえばシリーズ中屈指の傑作「八百万の死にざま」を「さらば冬のかもめ」や「帰郷」を撮ったハル・アシュビー監督が邦題「800万の死にざま」として映画化しており、このときはジェフ・ブリッジスがスカダーに扮した。ただし原作の印象が強くて、相当に改変された映画のほうはだいぶん見劣りがした。
さて、今回の「誘拐の掟」(原作の邦訳は『獣たちの墓』)はリーアム・ニーソンがマット・スカダーを演じる。監督・脚本は「マイノリティ・リポート」「アウト・オブ・サイト」の脚本家として知られるスコット・フランク

探偵を警察との関係でみれば、エルキュール・ポアロやジェーン・マープルのように警察と良好な関係にある人たちと、多くのハードボイルド小説の私立探偵のように警察に対して屈折した感情を持つ人たちとに分けられる。NHKで放映している何代目かのミス・マープルさんがしょっちゅうチャンドラーの本を読んでいるのは自分とはタイプの異なる探偵をよく知っておきたいからだろう。当然扱う事件も異なり、後者には大っぴらに警察へは通報できない事件が持ち込まれやすく、そこにノワールの風味が醸し出される。こうしたハードボイルドの雰囲気をスクリーンにどれだけ表現できたかはこの種の映画の成否に大きく関係する。その点で「誘拐の掟」はハメットやチャンドラーの時代とは異なる一九九0年代末のニューヨークの裏街にマッチした雰囲気がよく漂っていた。
マット・スカダーは退職刑事で官許の免許を持たない私立探偵だ。警察を辞めるにいたった深刻な事情があとへ引いてアルコール依存症となった。退職の事情がもたらす屈託とアルコール依存症から抜け出すためにしばしば教会で同病者とカムアウトしあっている。スカダーの人物像に欠かせない二つの子細の丹念な描写にリーアム・ニーソンの演技がよく応えている。
そのスカダーに、妻が誘拐されたと事件が持ち込まれる。夫は麻薬密売に関係していて警察に行きにくく、犯人はそこを見越して狙いを定めていた。くわえて十四歳の少女が誘拐される事件が発生する。スカダーの退職は突発の出来事から少女を犠牲にしたことによるものだった。スカダーの内面の疼きがいや増すなか、捜査と犯人たちとの交渉が緊迫の度をくわえてゆく。
(六月五日新宿バルト9