「ブラックハット」

香港で原子力発電所メルトダウン寸前になり、シカゴで大豆の先物取引価格が高騰して市場が混乱に陥る。いずれもハッカーの遠隔操作によるもので、これを承けてFBIと中国当局の共同捜査が行われることとなる。
中国側の責任者チェン・ダーワイ(ワン・リーホン)によると、犯人たちはチェンがマサチューセッツ工科大学で親友だったニコラス・ハサウェイ(クリム・ヘズスワース)が開発したソフトウェアをベースにした不正プログラムを用いていた。そのニコラスもハッキング行為で投獄されており、捜査チームは犯人逮捕のための協力を条件に釈放する。そこへチェンの妹チェン・リエン(タン・ウェイ)がコンピューターのスペシャリストとしてチームにくわわる。

犯人の追跡そしてニコラスとチェン・リエンの恋のゆくえは簡単な囲碁の定石集のようなもので裏切り裏切られたりのワクワク感や意外性はなく、手筋を読むのはまことに簡単で、スクリーンに人間が跳び跳ねていてもすべては粛々(けして上から目線にあらず)と進行する。シカゴから香港、マレーシア、インドネシアと転戦するのも一興で各地の風景が見どころとなっている。
こうして「ヒート」「コラテラル」のマイケル・マン監督の新作は電脳戦争とアクションをリンクさせた昔懐かしい活劇のテイスト、安心して楽しめる娯楽映画である。
すべては月並みであり、普通、尋常、可もなく不可もなく、なんの変哲もない。悪く受け取らないでほしい、時にこうした月並みに身を任せるのはいいもので、世界の安定とやすらぎをもたらしてくれるマンネリズムをわたしは否定しない。
そのうえで月並みについて考える。
ニコラスは天才プログラマーにしてむやみに武闘も強い文武両道の男である。MITで天才プログラマーと謳われた男がどうしてハッキングで投獄されるに至ったかの描写はあっても武闘派についての伏線や説明はなく、なんだか基礎工事をおろそかにした家屋を前にしているようで心もとない。
ついでながら先日観た「真夜中のゆりかご」でも同様のことを感じた。
デンマークの刑事アンドレアスと相棒の中年刑事シモンが踏み込んだ現場は麻薬中毒の男と愛人が住んでいて、別室には糞尿にまみれた赤ん坊が寝かされていた。母親に麻薬の痕跡がなかったことから強制保護は見送られる。その直後、アンドレアスのはじめての赤ん坊が突然死してしまう。妻は赤ん坊のいない生活に耐えかねて自分も死んでしまうかもしれないと錯乱状態に陥る。悩んだアンドレアスはわが子と先に踏み込んだ家の赤ん坊を取り替える。サスペンス、謎解き、映像いずれも見応えはある。だけど、赤ん坊を取り替えるに至る設定が安易で、すべて偶然で処理していて、こちらも頼りない基礎工事だ。その点でヒッチコックビリー・ワイルダーは基礎工事や伏線の張り方が巧みだった。
たとえば「裏窓」。L・B・ジェフリーズ(ジェームズ・スチュワート)はカーレースの事故に巻き込まれて足の骨を折り療養している報道カメラマンだ。やがて殺人者が彼の部屋へやって来る。車椅子のジェフリーズに応戦は無理だったがとっさの判断でカメラのフラッシュをたいて来襲者の眼をくらませようとする。伏線をしっかり張ってあるから両者の接し方や小道具の使い方に無理がない。ワイルダーの「お熱いのがお好き」のジャック・レモントニー・カーチスの女装にしてもシカゴでのギャングの抗争から導き出されていて、変態趣味でごまかしたり逃げ込んだりしていない。
「ブラックハット」に月並を感じる所以である。
(五月八日TOHOシネマズみゆき座)