ヴェネツィアに魅せられて

五月六日は傘雨忌、久保田万太郎の命日で、先日読んだ倉島厚、原田稔編『雨のことば辞典』にもこの忌日が立項されていた。傘雨は万太郎の俳号。
万太郎は一八八九年(明治二十二年)十一月十一日に生まれ一九六三年(昭和三十八年)五月六日に没した。梅原龍三郎邸で会食中、赤貝を喉に詰まらせての急逝だった。忌日にちなみ全集を拾い読みしたが俳号を冠した日なので句集や俳句をめぐる話題のある小品に目が向きやすい。
ある日、宴会の余興に下らない小唄ぶりを見せられた万太郎はせめてその中から俳句らしきものをと捻ってみようとしたが上手くゆかず、代わりに「いろけに手が生え足が生え小唄ぶり」と川柳らしきものができたので傍にいた小島政二郎に示したところ「あなたは俳句より川柳のはうが上手いかも知れない」と皮肉られてしまう。ふてくされた万太郎は「勝手にしろ」。
安藤鶴夫は『三木助歳時記』や『寄席紳士録』で三代目桂三木助を讃えたが万太郎もこの噺家を好みとしていて、三木助に寄せて書いた短文には「鯵焼けてくるのを待つや冷奴」の句を載せている。
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エド・マクベイン『キングの身代金』を読んだ。「天国と地獄」は何回か観ているが迂闊にも原作は未読だった。というかそもそも警察小説の古典として名高い87分署シリーズをこれまで手にしたことがなく、ようやくお目にかかったしだいだ。

きっかけとなったのは犯人役として映画に出演した山崎努さんの著書『柔らかな犀の角』にある「黒澤明監督の『天国と地獄』は四四年前(二00七年時点)に公開された映画だが、今観ても古くない。古くないどころか、年代もののウィスキーのように、時間が経ってますます味が深くなってきている」という一節だった。
原作と映画とでは登場人物のキャラクターや結末のつけ方など異なる点は多く、たとえば映画では黒澤好みの思想性や社会の矛盾を突く姿勢から貧富の差が強調されていたが、原作は事件の経過とともに製靴会社の重役夫婦や犯人夫婦の関係が変化してゆくさまが大きな比重を占めていて、ラストではアイソラをあとにした一組の男女の行方に余韻を持たせている。こうして原作も映画もともにたのしめるのがうれしい。
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ジョン・ル・カレ『繊細な真実』に、引退したイギリスの外交官クリストファー・プロビンが、セント・ピラン村の昔ながらの祭りにケンブリッジ時代の装いをする場面がある。麦藁のカンカン帽、縦縞のブレザー、白い麻のズボン、これぞ『回想のブライズヘッド』ふうの装いにほかならない、と元外交官は心でつぶやく。
このシーンはイヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』が、どれほど一九二0年代、三0年代を偲ぶ作品として親しまれているかを窺わせるに足る。折よく昨年イマジカBSでテレビドラマ「ブライズヘッドふたたび」の放送があり、当時の風俗を目の当たりにできた。
それと親しくなったライダーとセバスチアンが大学の長期休暇を利用してセバスチアンの父が暮らすヴェネツィアを訪ねるところで当地の風景がふんだんに撮られていたのはこの町のファンにはありがたかった。
ヴェネツィア大好き人間なので、ここを舞台とする小説や映画は気のつく限りチェックしていて過日NHKで放送のあったリメイク版「ミニミニ大作戦」は二00三年の公開当時はミニクーパーによるカーアクションが話題になったが、冒頭のヴェネツィアの水路でのアクションもなかなかのものだ。

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ヴェネツィアについてすこしお堅い方面の勉強もしてみようと考えて高坂正堯『文明が衰亡するとき』(一九八一年新潮選書)を読んだ。本書はローマ、ヴェネツィアアメリカの衰亡を考察した論考で、ヴェネツィアについて著者は「他人がそう注目しない小さな存在であるときには、防衛費も少なくて済む。外交のための費用も多くを要しない」、そしてこのメリットを活かす能力をヴェネツィアは持っていたのだが「ところが大国になると、広義の安全保障の費用、すなわちプロテクション・レントが増大するのである。そこに社会的安定を維持するための社会保障費がつけ加わるとき、税金が重荷となるほど上昇し、経済が活力を失うという展開は、極めて防止し難い」と述べてヴェネツィアと戦後日本とを重ねる。
日本とおなじくヴェネツィアも一種の島国で通商、貿易を旨として生きなければならぬ環境にあった。高坂正堯国際政治学者としてそこに着目して「ヴェネツィアの衰亡への関心は(中略)ヨーロッパの外交史を学びながら、日本外交について考えるようになってからのことである。日本は『海洋国家』もしくは『通商国家』であり、そのようなものとして生きていかなくてはならないが、その外交を考えるとき、同種の国家に目が向く」と述べている。
戦後の日本を高坂の言う「海洋国家」もしくは「通商国家」とした牽引役は吉田茂で、その著『回想十年』で「日本は海洋国家であり、海外との貿易を通じて、九千万国民を養わなければならぬことは、明らかである。そうである以上は、日本の通商上の繋がりは(中略)英米両国に自ずと重きを置かざるを得ないではないか」と論じている。
かつてイタリア大使の任にあった吉田茂が戦後の日本が進むべき道を定めるにあたってヴェネツィアをどれだけ意識していたかは不明だが経済成長重視と軽武装という選択は結果的にヴェネツィアの故智に倣うものだった。
そして現在、東アジア情勢の変化や米国と連携したテロ対応のための新たな防衛政策の策定、社会保障費の増大、予定されている消費増税といった日本が直面する課題は吉田茂の政治的選択の評価や問い直しと相関関係にある。
高坂正堯は一九九六年六十二歳で早逝したが、いまに生きていたらどのような議論を展開しただろうか。
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もうひとつ高坂正堯『文明が衰亡するとき』をめぐる話題。
ヴェネツィアは一五七五年から翌年にかけて疫病の流行に苦しみながらも伝染病に関する理論や公衆衛生のためのよりよい方法を生み出した。それから半世紀。一六三0年から三一年にかけて疫病がまたしてもヴェネツィアを襲い住民の三分の一の命を奪った。このときの対策は半世紀前とは異なり、疫病を天罰とみなしたヴェネツィア人は神の怒りの前に謙虚に反省し、地上における神の代理人としての教皇に従うべきだとの主張を繰り返した。
高坂正堯は疫病に対するヴェネツィア人の精神面の変化について「合理主義から教条主義への変化」と述べた。関東大震災はもちろん、東日本大震災でも震災を天罰とする天譴論が言われたのは記憶に新しい。天譴論を主張した渋沢栄一に対し、だったら栄一が生きているはずがないと論じた菊池寛の言論を思い出す。健康なジャーナリズムここにありだ。
経済成長重視と軽武装という吉田茂の政治的選択や戦後日本の基本方針さらには日本国憲法をどう考えるかといった問題がいま国民に問われている。言うまでもなく答えは神がかりの「教条主義」ではなく「合理主義」にもとづくものでなければならない。その前提となるのが多様な意見を自由に発信し討議できる健康なジャーナリズムの存在である。
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知合いのいない旅先の外国で事件に巻き込まれるのは、巻き込まれ型スリラーの常道で、イマジカBSで観た「北京のふたり」(一九九七年)もそうした映画だった。舞台は北京、殺人犯に仕立て上げられたアメリカ人(リチャード・ギア)、弁護士(バイ・リン)は国選の女性弁護士でお決まりの国境を越えた絆と無実を勝ち取るまでが描かれる。
中国の法廷シーンがめずらしく、また中国の裁判制度や警察の理不尽、高級幹部の腐敗なども盛り込まれていて、中国の街並みを撮ったシーンも多い。このストーリーでよく当局が撮影を許したものだなと思いながら観たが、あとで調べたところ北京のシーンは合成と知った。全編アメリカ国内で撮影され、北京のシーンは嵌め込みなんて知らなかったものだから中国当局が満足する結末を考えたりしていた。リチャード・ギアダライ・ラマ十四世の熱心な支援者でその点でも中国での撮影は不可能だったそうだ。