「ギリシャに消えた嘘」

ミステリー映画や原作者であるパトリシア・ハイスミスのファンにはうれしく、堪えられない作品だ。
原作は邦題『殺意の迷宮』(榊優子訳、創元推理文庫)、小説ならびに映画の原題はThe Two Faces of January。
多くのハイスミスの小説とおなじようにこの物語もけしてハッピーなものではないけれど、こうした映像のしっかりした、面白い作品を観るとたいへんよい気分になる。念のために申し上げておくと驚きの犯人探しやどんでん返しに期待してはならない。それらとは異質の、ひりひり、ちくちくする刺激がもたらされ、ミステリーの醍醐味を体感するであろうことは請け合います。
「見知らぬ乗客」「太陽がいっぱい」「アメリカの友人」などこれまでのわたしのささやかなハイスミス体験で言えば、その魅力は多く犯罪をきっかけに追い詰められてゆく者たちの不安と狂気、物語の進行につれて増幅するサスペンス、そして追い詰められた者たちの繰り広げるねじれ、よじれする人間関係のドラマ、そこから生まれる惑乱や皮肉、黒いユーモアにある。「ギリシャに消えた嘘」もまた。

一九六二年、アテネでツアーガイドをしているアメリカ人青年ライダル(オスカー・アイザック)が、パルテノン神殿アメリカからの旅行者チェスター(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻コレットキルスティン・ダンスト)と出会う。不仲だった父親にどこか似た夫と魅力的な妻に惹かれたライダルはかれらのガイドを務めたのだったが、別れたあとにコレットのブレスレットが車に置き忘れられているのに気づき、届けに行ったところでチェスターがホテルの部屋に現れた男を殺害した場面に出くわす。殺されたのはチェスターの詐欺に遭った裏社会の被害者が寄越した追手で、ライダルはその男の後始末を手助けしたことから三人の疑心暗鬼を携行した逃避行がはじまる。
六十年代初頭のレトロ感漂うファッション、茜色に染まったパルテノン神殿や黄昏時のクレタ島、賑わいのイスタンブールのグランドバザールなどの映像も大きな魅力となっている。
監督は「ドライヴ」の脚本を書いたホセイン・アミニ、その初作品だ。
(四月十四日ヒューマントラストシネマ有楽町)

【附記】
エンドロールで名匠シドニー・ポラックともう一人(有名なひとだけどいま思い出せない)に「特別な感謝」が捧げられていた。二00八年に亡くなったシドニー・ポラックはあるいはこの作品の映画化を企図していたのかもしれない。