「ビッグ・アイズ」

一九六0年代「ビッグ・アイズ」シリーズによりアメリポップアート界の寵児となったウォルター・キーンだったが、じつはその絵は妻マーガレットが描いていた。佐村河内守作曲とされた楽曲がゴーストライターによるものだった事件は記憶に新しいが、アメリカの美術界でも似たような出来事があった。ティム・バートン監督による奇談の映画化だ。

マーガレットは小さい娘を連れてウォルターと再婚する。絵画が好きで、気の合う者どうしの結婚だったはずが、夫は虚言と欲望にまみれた人物で、妻の描いた絵を夫は自身の作品として売り出す。評判を取り、人気が出て絵画が高額になると、ポスターやポストカードの大量販売を企画するなどウォルターは商才に長けており、家族には贅沢な暮らしがもたらされたが、その代償として箝口令や娘のアトリエへの立ち入り禁止などいびつな家庭生活が続いた。
はじめは貧しい家計を考慮してやむなく応じたマーガレットだったがだんだんと虚構の呵責に耐えられなくなる。他方、夫の行動はエスカレートして止まるところを知らない。二人の落差が広がるなかで、夫は狂気に駆られ、妻は追い詰められる。このかんティム・バートン監督は六十年代はじめのカラフルな時代色(ウェストコーストジャズの演奏シーンがファンには嬉しい)を配しながら静かなサスペンスを高めてゆく。
絵心などもとから持たないウォルターが商才に長けたホラ吹き男からしだいにサイコと化してゆく。クリストファー・ヴァルツの怪演に唖然としながら、いっぽうでわたしはかつて健さんの殴り込みを心待ちしたように妻のエイミー・アダムスに早く真実を訴えろとその立ち上がりに期待していた。なんだかヒッチコック東映任侠映画が結びついたような稀有な時間だった。
佐村河内事件には視覚障碍者にたいする社会の善意のまなざしを逆手に取った一面があったと思う。視覚障碍者による作品であることで人々は感銘と讃辞の度合を高めただろう。こうして詐欺は社会性を帯びる。マーガレットが夫に言いくるめられ、夫の作品として売り込みを許す背後には大きくは当時の男女の力関係、具体には母子家庭の生活のむつかしさがあったと考えられる。
(二月二日TOHOシネマズ有楽座)