「百円の恋」

実家でひきこもり生活を送っている三十二歳の一子(安藤サクラ)が、離婚して出戻ってきた妹と大喧嘩して、自棄になり家を飛び出し、百円ショップで深夜勤務のバイトに就く。先輩の店員で、むやみなおしゃべりのサイテー男、元店員で毎夜廃棄弁当あさりにやって来る婆さん等々がうごめくショップとそこを取り巻く一帯は現代の苦界だった。
奇人変人どうにもならない男たちを目のあたりにしながら、ある日、彼女は近くのボクシングジムで寡黙に練習に打ち込む中年ボクサーの祐二(新井浩文)と知り合い、衝動的にボクシングジムへ通いはじめる。

マイ・フェア・レディ」の虚構とは無縁であり「ミリオンダラー・ベイビー」に陥れば終わりだ。恋愛もセックスも含めて他者との関係をつくったことも社会での経験も皆無と言ってよい。監督(武正晴)と脚本(足立紳)が設けた一子のボクシングの位相であり、ここを生きながら彼女はだんだんと変容を遂げる。
ほとんど「投げやり」一色だったところへ「生き抜く」が芽生え、そこから「生き合う」が成長する。そのあいだに一子の肉体と表情がだんだんと変化する。身体を張ったでは済まされない、おいおい、そこまでやって大丈夫なのと声をかけたくなるほどの役づくり。この女優の凄みに惹かれ続けた百十三分だった。
一子および彼女を受け止める祐二、そして脇のサイテー男と廃棄弁当あさりの婆さんが強い印象を残す。人物造形の確かさとそれに応えた役者の演技の賜物だ。
ラストで、ぎこちない生き方しかできないけれど、ともに負の連鎖を断とうとしている一子と祐二の後姿に微かな光が射す。素晴らしい映画の余韻を噛みしめながらわたしはそこに自身の歳末の一日を重ねた。
(十二月三十日テアトル新宿