「紙の月」

都市銀行契約社員として勤務する主婦の梅澤梨花(宮沢りえ)が年下の大学生平林光太(池松壮亮)と出会い、愛欲に溺れるうちに顧客の預金を横領する。夫との関係にむなしさを覚え、若い男と関係を重ねながら彼女の金銭とモラルの感覚はマヒし、狂ってゆく。
バブルがはじけて間もない一九九四年の物語だ。そのころはまだ外回りの銀行員が家庭や事業所を訪れて入出金のサービスをしていた。そういえばわたしが勤務していた職場にも週に二度だったか銀行員が立ち寄っていた。若い人にはなじみのない光景だろう。
梨花も自転車に乗って担当の家庭を訪れていて、入出金の伝票を操作しやすい立場にあった。横領と発覚の過程はスリリングで、そこに銀行内部の人間関係や隠し事が絡む。
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上司と不倫関係にある同僚の相川恵子(大島優子)は当の上司の指示で業績向上を見せかける架空伝票をつくっていることをそれとなく梨花に語る。その対極に、硬直のまじめさで梨花の横領を見つける先輩行員隅より子(小林聡美)がいる。横領の行員、メフィスト風の小悪魔、モラルの権化の人物造形が興味深く、三人の女優が見事に演じているのは特筆しておかなければならない。
そして事件は発覚し、曲りなりに収束するが、関係者の心には関係のありように応じたいろんな染みが残される。梨花の金と愛欲はより子のモラルさえ浸潤しているようだ。
こうしてスクリーンでは事件の顛末は語られたが、観終えた瞬間からわたしの心は語られなかったところに向かった。事件は観客にも後を引く。そこに「桐島、部活やめるってよ」につづく吉田大八監督の巧みな語り口と意図が感じられる。
はじめにあるのは堕ちて、破滅的な人生を疾走したいという女の漠然とした思いと決まりきった日常からの逃亡志向だった。そのために梨花は無意識のうちに何かのきっかけを求めていたように見える。
中学生の頃、彼女は学校の教室で、世界で貧困と病苦にあえいでいる人たちへの寄付を説く修道女に応じているうちに父親の財布から金を抜き取ってしまう。世のため、人のための行為がどこかでねじれてとんでもない事態を生む。横領もはじめは光太の学費を補助しようとしたのがきっかけだった。人助けという善意が暴走への意欲をかきたてる。そんな彼女の心象風景をもっと微細に見てみたい気がする。
(十二月一日丸の内ピカデリー