金目のはなし

先の内閣改造で、東京電力福島第一原発事故に伴う汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐり「最後は金目でしょ」と発言したことで批判を浴びた石原伸晃環境大臣の留任は予想通りなかったが、しかしこの「金目発言」は奇妙なエピソードとしてわたしには興味深かった。

金目という言葉は官庁に勤務していてときどき耳にした。住民が納めた税金を金目と言うのに違和感を覚え、下品な感じもして自分では使わなかった。日ごろ口にする職員でもふつう外部では発しない用語で、それをどうしてか大臣が使った。見識を欠く発言である。ただし嘘ではない。
「中間貯蔵施設の建設につきましては国による用地の買い上げや補償金等の問題を含めまして真摯に検討してまいります」とでも言っておけばよかったのだろうが、しかしこれとても金目の問題であるのはまちがいない。国の原発政策に則してその立地を推進してきた福島県にしても原発のリスクを取ったことと金目の話とは無関係ではない。それをこともあろうに大臣が上品とは申しかねる言葉で表現して首長や議員先生の神経を逆なでした。県議会を中心とした猛烈な批判に環境相はお詫び行脚を重ねたそうだが、それで問題が解決したり蒸発したりするものでもない。
安倍政権は原発の稼働に前向きの政権であり、わたしはいますぐ原発を廃止するのは無理だとしても、リスクを軽減して、できるだけ早くそこから脱する方向で新たなエネルギー政策を立てるべきだと考えるが、それはともかく、現在の政権の方針を前提にすれば安全性と電力供給と原発及び関連施設の立地する地元への補償すなわち金目によるケアの三点をどういうかたちで均衡させるかが課題となり、環境相の発言はそれを逸脱したものではない。
そして発言は環境相の心のスクリーンに福島がどんなふうに映っているかを図らずも明らかにした。最後は金でなんとかなるだろうというイメージはおそらくこの人だけのものではない。
「最後は金目でしょ」には国・電力会社と地方のあり方の検証をはじめいろいろと考えさせられることがらが含まれている。福島にしてもいやなことを言われたと感情的な反発を繰り返すのではなく、これまでの原発と地方政治の問題をそれこそ金目のことも含めて切開してみせる勇気が必要なのではないか。金目発言は単に世間常識で指弾して済むことがらではない。


世の流れは早く、上のことを書いていたところ金目の話題はもっぱら政治資金に移り、この問題で新内閣の目玉である女性閣僚のうち小渕優子経済産業大臣と松島みどり法務大臣が辞任に追い込まれた。松島大臣が有権者に配ったうちわが政治資金規正法に照らして問題かどうかはわからないけれど、それなら政治資金の使途についてより細かなルールや例示が必要で、立法府としてさっそく取り組めばよい。いっぽう小渕大臣のばあいは後援会主催の観劇やスポーツ観戦の収支報告が千万円単位で合わないというから深刻である。
事象を見ていると安い会費で舞台やプロ野球に案内されて、差額は政治家が補填してくれるなんて話が世間にはあるようだが、どうしてかわが家には来ない。だから言うのではないけれど、スポーツ観戦やコンサートさらには酒にセックス、品物に現ナマ……オゴリとタカリのネットワークに身を置くよりもランニングで汗をかき、カラオケで歌うほうがよほど心身ともに健康的だと思いますね。
小渕大臣は収支が合わないのはわたしにもわかりませんとおっしゃっていた。正直な人のようでもあり、なんだか他人事のようでもある。差額の補填といっても税金や寄附金を原資とする政治資金だから議員先生みずからのふところが痛むわけではなく、そうでなくても他人事と映るのはやむをえない。
政治と金の問題の不明朗を解決するために国民は政党助成金という名の徴税を甘受している。民主主義に要する経費を助成金でまかなうのは必要な措置だとしても、それには適正な支出や財界や労働組合からの寄附の撤廃などが厳格な条件としてなければならないと考えるが、現状はこれらは踏んだり蹴ったりといった状態にある。お手盛りの政治は健在である。