「誰よりも狙われた男」

ロッコを旅しているあいだ時間があればジョン・ル・カレ誰よりも狙われた男』(加賀山卓朗訳、ハヤカワ文庫)を読みふけっていた。近く公開が予定されている同名の映画を心待ちにしながら。そして帰国してまもなく観た作品は期待した通りの出来栄えだった。
冒頭「9・11のテロはドイツの港町ハンブルグに潜行した首謀者たちにより計画されたが、関係する諜報機関はそれを見逃してしまい、いまかれらは失地回復に躍起になっている」といったテロップが流れる。
そうした状況にあるハンブルグへイッサというチェチェンの若者がロシアの刑務所から逃れてやって来る。この密入国者はチェチェンのロシアからの分離独立運動にたずさわっており、イスラム過激派として国際指名手配を受けている。

トルコ人の家庭にかくまわれていたイッサにさいしょに気づいたのはドイツの機関で、責任者のギュンター・バッハマン(フリップ・シーモア・ホフマン)の指揮でその監視をはじめ、さらにイッサを泳がせることによって、イスラム世界に影響を及ぼし、テロへの資金援助にも関わるドイツ在住のイスラム学者を引き出そうとする。
いっぽうイッサは人権団体サンクチュアリ・ノース所属の弁護士アナベル・リヒター(レイチエル・マクアダムズ)の支援を受け、彼女はロシアの軍人だったイッサの父親につながる銀行家トミー・ブルー(ウィリアム・デフォー)との接触を図る。
バッハマンはこの二人を取り込もうとするが、一連の動きは米英の関係機関の知るところとなる。イッサの扱いには干渉の手が伸び、弁護士も銀行家も否応なく諜報という暗部の世界に巻き込まれてゆく。
イッサをターゲットとするテロとの戦いが複雑な様相を帯びるのは当然だが、それをきっかけに西側陣営の諜報世界も混沌と対立の度合を深める。こうしてイッサを「誰よりも狙われた男」として監視下におき、新たな作戦を企図したバッハマンだったが、やがてかれ自身が「誰よりも狙われた男」とされる。

鈍色。国語辞典には、むかし喪服に用いた濃いねずみ色とあるが、わたしはそこにこの映画の原作者(製作総指揮の一人としても名を列ねる)であるジョン・ル・カレの作品世界を蔽う色との極私的語釈をくわえている。虚実は分かちがたく、行動の規範も道徳やイデオロギーでは律しきれない。相手の実像は霧のかなたにおぼろげに映っているようであるが定かではない。冷戦という二項対立の時代でさえそうだった。国と国との戦いを超えた「テロとの戦い」にあっては鈍色の濃度は増しても淡くなることはない。「誰よりも狙われた男」はそうしたル・カレの世界を巧みに描き出している。
華やかさはゼロ。身体の数か所に棘が刺さったような状態での神経戦。それを一瞬でも忘れたいのか、あるいは噛みしめているのかバッハマンはたばこを深々と吸い、グラスにウィスキーをなみなみと注ぐ。見ようによっては緩慢な自殺とさえ映る。静かで苛烈な戦いをここまで体現したフリップ・シーモア・ホフマンの演技は特筆されよう。そして最後に感情を抑えられなくなったバッハマンが咆哮する姿に胸はざわついた。
この作品が本年二月二日に四十六歳で逝ったフリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演映画となったのは惜しみてあまりあるけれど、せめてもの慰みとしてバッハマンを演じた役者としてのフィナーレは大いに讃えたい。
監督はアントン・コービンジョージ・クルーニーと組んだ前作「ラスト・ターゲット」につづく本作でわたしには目の離せない人となった。
(十月十九日TOHOシネマズシャンテ)