「ミリオンダラー・アーム」

私的な経験ではアメリカ発の野球映画にハズレはない。だからクレイグ・ギレスピー監督「ミリオンダラー・アーム」についても安心はしていたものの、これほどの涙と笑いと知的な刺激と感動が待っていたとは思っていなかった。インドふうの音楽にのせられながら、巧みな話術にぐいぐい引き込まれた百二十四分だった。
スポーツ・エージェントとして起業独立したもののすべての契約を失ってしまったJB・バーンスタインジョン・ハム)が窮余の一策として着目したのは野球未開の地インドだった。野球のプレー経験はなくてもクリケットでボールを投げている多くの若者がいるから剛腕投手が育てられるというのである。むかし日本でも短距離ランナーを代走専門の選手として獲得した事例があったが、ピッチャーとなるととてつもなくむつかしい気がするが、この突拍子もない話をJBは中国系資本家に説いて資金を得て、一等賞金100万ドル、そして一位、二位の受賞者をメジャーリーガーとしてデビューさせるという特典付きの大規模なコンペティション「ミリオンダラー・アーム」を開催したのだった。見極めはプロのスカウト、レイで、扮するアラン・アーキンの怪演がたのしく、おかしい。
奇想天外な話だが、事実に基づいているという。

さいわいコンペティションでは二人の素質ある青年が見出された。予想とは異なりクリケットとは無縁の若者だった。JBは二人と、もう一人ひょんなことから知り合った野球コーチを志望するインド人青年を連れてアメリカに帰国する。
問題はここからで、プロのコーチの指導を受けはじめた二人は野球で壁にぶつかっただけでなく、生活環境の激変と慣れない環境、孤立状態のなかで精神的不安に悩む。いくら自由競争や実力勝負の原理を説いても問題の解消にはつながらない。まずはインドの田舎からやって来た青年たちの悩みを軽減してやらなければならない。かれらは選手である前に生活者であり、生活がおろそかなままでは実力勝負の世界に打って出られない。
これまで出来合いのスポーツ選手たちとビジネス関係を結んでいたJBにはそのことが見えていない。問われているのはピッチャーが一勝すれば幾らの出来高といった金銭がらみの薄っぺらな野球観だ。
メジャーリーガーをめざす当事者が変わらなければならないのはもちろんだが、そのまえに選手を育てるJB自身が変わらなければならない。さいわいかれにはそれを扶けてくれるコーチ志望のインド人やJBの屋敷の離れに住む借家人ブレンダがいた。
こうして野球をめぐるドラマは人情噺とアメリカとインドの比較文明論の様相を帯びる。そしてJBが変わるにつれて「奇跡」が近づいてくる。
(十月六日TOHOシネマズみゆき座)