ヒエラポリスからの眺め(土耳古の旅 其ノ十九)

パムッカレの石灰段丘の一番上にはヒエラポリスの遺跡があり、小高い丘の下には広大な農村地帯が広がっている。遠望すると石灰段丘の白と田畑の緑があざやかなコントラストをなしていてたいへん気持のよいところだった。
ヒエラポリスはローマ帝国の温泉保養地で、二世紀から三世紀にかけては人口十万人を越える地方都市として栄えた。
いっぽうで地震の多いところでもあり紀元十七年、ティベリウス帝治世時の大地震により壊滅的な打撃を受け、その後ネロ帝の治世で再建され、引きつづきビザンチン帝国時代にも繁栄を続けたが1354年の大地震で完全に廃墟と化した。他人事、他国のことではない身につまされる歴史である。
この頃すでにビザンチン帝国はオスマン帝国との戦いで苦況にあり、臣従しなければならないほど衰亡著しかったから、このことも廃墟に拍車をかけていただろう。