あさきゆめみじ

明治の小学唱歌「浦島太郎」は「むかしむかし浦島は助けた亀に連れられて」ではじまり、四番の歌詞のところで土産にもらった玉手箱を持ってふるさとへ帰り、そうして「帰って見れば、こは如何に、元居た家も村も無く、路に行きあう人々は、顔も知らない者ばかり」とおどろくことになる。
ここのところで「こは如何に」を「怖い蟹」と思いこんでいる人がけっこういると高島俊男『お言葉ですが・・・』で知った。太郎さんが帰ってみれば怖い蟹に家も村も食い荒らされてしまっていたのだった。
これを紹介した高島氏も自身の歌詞をめぐる思いこみの経験を披露していて「埴生の宿」の一番「埴生の宿もわが宿、玉のよそひ、うらやまじ」の「うらやまじ」を「羨むまい」ではなく「裏山路」と信じ込んでいた。そうして山路来てなにやらゆかしの「裏山路」の両側には玉を散らしたようにさまざまな花が咲きみだれているとのイメージを懐いていた。

打消の助動詞「じ」を「路」と取り違えていた経験はわたしにもある。
「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」。
この「浅き夢見じ」の「じ」を打消の助動詞と解すると「あでやかな花もやがて散る、この世で誰が不変であるものか、有為転変の迷いの奥山を踏み越えるわたしは、けして浅はかな夢など見まい、酔ったりもしない」との意となる。
別解として「浅き夢見し」があり、過去を示す助動詞となれば「あさはかな夢を見てしまった、もうけして酔いはしない」となる。
わたしはずっと「ゆめみじ」と覚えていて、そして高島氏とおなじく「じ」を「路」として「浅き夢見路」と思いこんでいた。
今日越え行く有為の奥山は春まだ浅いとはいえ花咲きほころび、まるで夢見心地のする路、しかしこの花だってやがて散ってしまうのだ、世の無常を思え、夢見路に酔っていてはいけないよというわけ。
まちがいと知っても、匂うように咲く花々と夢見路が対応関係にあって、なかなかきれいな解釈ではないかと未練がある。それに酔ってはいけないよとのいろは歌の教訓に逆らって「夢見路」のあでやかな花々に酔いしれていたいとのひそかな願いも未だ消えない。