2011年プラハでの岩崎宏美コンサートでチャスラフスカさんを見た

毎度のことながら情報に疎く、昨年十月に和田誠『いつか聴いた歌』の増補改訂版が愛育社から出ていたのとこれにあわせてコンピレーションのCD「いつか聴いた歌 スタンダード・ラヴ・ソングス」が発売されていたのを年が明けてから知り、さっそく買ってきた。最初の単行本以来ジャズ、スタンダードナンバー、ミュージカル映画大好きのわたしは「いつか聴いた歌」所収の楽曲群を究めたいとの思いを抱き続けてきた。

おなじく和田さんがジャケットをデザインしたCD「夢であいましょう 今月のうた大全」もいっしょに購入。以前に西田佐知子のベスト・アルバムCDを買ったとき、大好きな「故郷のように」が入ってなくて(当然入っているだろうと確認もしなかった)がっかりしたが、このCDにはしっかり収められている。わたしがストーリーをたどらなくてはならないテレビドラマをあまり見ないのは、この「夢であいましょう」や「シャボン玉ホリデー」「若い季節」「光子の窓」など当時のバラエティ番組があまりに素敵だったためではないかなと思うことがある。
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和田誠『いつか聴いた歌』増補改訂版を読了。しょっちゅうお世話になっているが通読したのは最初の単行本と文庫本に次いで今回が三度目。文庫化されたのが1996年だからそれ以来だ。元の単行本のときはレコードの時代だった。今は喫茶店で本を読みながらそこにある曲を聴けるのだから振り返ると夢のよう。
たとえばThe Inch Worm尺取虫の項に和田さんは映画「アンデルセン物語」でダニー・ケイがコーラスと歌ったと書いている。初めて読んだときはそうかそうかとうなずいて、そのうち尺取虫のあるLPを探してみようと思うだけだったのがいまはYouTubeで映画のシーンが見られる。
『いつか聴いた歌』に収めるのは百三十曲。これまでの百曲に新たに三十曲が「ボーナストラック」として加えられている。新曲とは違いスタンダードナンバーはYouTubeにも多く上がっていてわがiPhoneに入れたCDとあわせるとほぼカヴァーできる。それもいくつものヴァージョンを見て、聴ける。スタンダードナンバーを愉しむのにこれほどの環境はまたとない。思えばよい時代になったものだ。スティーブ・ジョブズ 氏をはじめとする情報機器の開発者に感謝しよう。
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イスタンブールへ飛ぶのを前に『ディミトリオスの棺』『反乱』『インターコムの陰謀』の三篇を収める『世界ミステリ全集7エリック・アンブラー集』(早川書房)を読んだ。1972年の刊行で、アンブラーは一人一巻、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(映画「裏切りのサーカス」の原作)のジョン・ル・カレはまだ三人で一巻の割当で『寒い国から帰って来たスパイ』を収めている。いまならアンブラーとル・カレは逆転するだろう。
これまで自分がトルコを意識したのはと振り返ってみるに庄野真代「飛んでイスタンブール』とエリック・アンブラーの『ディミトリオスの棺』くらいしか思い浮かばない。旅行を前にいろいろ予習をしなければならないが、焦ることなくわたしをエスピオナージに導いてくれたアンブラーを再読してみることとした。むかし読んだ本を再読していると自分が歩いてきた道をたどり直している気分になる。もともと自分がノスタルジー型という事情もある。若い人たちのように前へ進むのもよいが、こんなふうにこれまでの道をたどるのもよいものだ。どちらにしても大事なのはあるく力で、これなしには前へも後ろへも動けない。
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「とても」という言葉は大正末・昭和初期までは「とても〜ない」と否定形でのみ用いた。すなわち「とてもうれしい」「とてもきれい」といった肯定的表現はなかった。大森洋平『考証要集』(文春文庫)より。著者によると岡本綺堂芥川龍之介は「とても」の肯定的表現をとても(いかんいかん)嫌ったそうだ。
不明を羞じるが「とてもきれい」が誤用だったなんてまったく知らずにきたから自身の文章では何の疑問もなく用いていた。できるだけ新語や流行語は使わず、言葉の使用は保守的な姿勢がよいと考えているので、これはいささかショックである。しかも愛読する岡本綺堂先生がひどく嫌っていたとは。

ちなみに新明解国語辞典を引くと、最初に、どんな方法を尽くしても実現不可能なことを表すとの語釈があり、次に程度が並以上であることを表すとある。とても=たいへんはもともと誤用だったことさえ記述がないほどいまは広く行われているわけだが、綺堂先生を思うといまはとても使う気になれないなあ。
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トルコの旅から帰国。海外旅行ではいささか暴飲暴食気味になるので朝早く起きてトレーニングをしようと考えていたのに翌朝は十時のおめざめで、なんと十時間超爆睡していたことになる。帰りの機内で「ラッシュ」吹替版を観たが、自宅に落ち着いてみるとまだストーリーを追うのはしんどい感じがして旅行中に録画しておいた「岩崎宏美 プラハに歌う〜35年目の挑戦〜」(NHKBS)を見た。2011年プラハドボルザークホールにおける岩崎宏美のコンサートで、舞台とともにプラハの街の光景が美しく、そして驚いたことに東京オリンピックの女子体操の金メダリスト、ベラ・チャスラフスカさんが観客の一人としてインタビューに応じ「今日のコンサートによって架け橋が生まれました。プラハと東京、つまりチェコと日本の架け橋です。私は1964年の東京オリンピックチェコと日本の橋渡しをしました。そして今日、宏美さんが再びチェコと日本の橋渡しをしたんです。日本とチェコそれぞれの国の女性がこのような役割を果たしたんです。素晴らしいわ!」と語っていた。

チャスラフスカは東京とメキシコ五輪女子体操個人総合の金メダリスト。東京オリンピックを中継するブラウン管のなかの彼女を見て中学生のわたしの心はときめいた。メキシコ大会はソ連によるプラハの春の弾圧、軍事占領の時期と重なっていて、彼女は自由化、民主化を求める二千語宣言に署名し、当局の撤回指示を拒否したためベルリンの壁の崩壊、ビロード革命まで苦難を強いられた。
後藤正治ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』(2004年文藝春秋)は取材に元手をかけたスケールの大きい作品で、コマネチ、ラチニナ、クチンスカヤ等々多岐にわたる名選手がインタビュー、書面回答に応じていて、チャスラフスカのあゆみにくわえ第二次大戦後の女子体操界の軌跡を語ったルポルタージュの名篇だが、この時点でチャスラフスカは家族の不祥事など不幸が重なったために鬱状態に陥り、人前に出ることはほとんどないとあり心配していた。それが岩崎宏美のコンサート会場に姿を見たのだから驚いたわけだ。少しでも回復されているようであれば嬉しい。
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Twitter館淳一氏の「中公文庫からは「亨吉の性」の部分が削除されたとされる「狩野亨吉の生涯」(青江舜二郎)の明治書院版をゲット。ううむ、まさに鬼気せまる老人の性欲。しかしポルノ創作の部分など日記遺稿からは文字通り「削りとられて」いる。驚愕した弟子たちの仕業らしい」との記事があった。長年未読のまま架蔵する青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』中公文庫版にこうした事情があるのをはじめて知った。先生の威信を守ろうとしてテキスト改竄に及ぶ不見識な弟子たちという構図である。
この構図となれば夏目漱石に対する小宮豊隆がその典型だろう。長年にわたり岩波版『漱石全集』では「坑夫」や「硝子戸の中」にある部落差別にかかる用語が削除されてきた。寺田寅彦没後の全集編纂における小宮の比重が高まった中での措置で、小宮の意向がはたらいているとわたしは推測している。(ただし小宮の影響を排した最新版では修正されているので念のため)
それでも『漱石全集』では削除したことが明示されているだけましだ。ひどいのは岩波文庫荷風随筆集』所収「伝通院」で、××や削除したことを示さないまま文章を繋げて、テキストは『荷風全集』に拠ると平然と書いているのだから空いた口がふさがらない。岩波文庫による、戦前の検閲さえしなかった暴挙だ。そしてこの措置は川本三郎編『荷風語録』(岩波現代文庫)でも踏襲されている。