「エヴァの告白」

エヴァマリオン・コティヤール)と妹マグダ(アンジェラ・サラフィアン)が戦争の影響で情勢が不安定な祖国ポーランドを離れ、ニューヨークに到着したのは一九二一年のことだった。その矢先入国審査でマグダは肺病の診断を受けて隔離される。エヴァもいったんは入国を拒否されたがブルーノ(ホアキン・フェニックス)という見知らぬ男性のおかげで強制送還を免れる。エヴァはなんとしてでも妹といっしょに生き抜こうと決意する。

アメリカ合衆国の二十年代はジャズが高鳴り、アール・デコが花開き、フラッパーという新しい女が社会進出した時代だった。エヴァとマグダがやって来た一九二一年はその「狂騒の二十年代」がはじまろうとしていた時期にあたる。この映画が描いているのは「狂騒の二十年代」の裏面で、ダリウス・コンジ(「ミッドナイト・イン・パリ」)のカメラは当時のニューヨークと入国審査機関や隔離施設のあるエリス島の光景をじつにリアル(と思う)に映し出している。エリス島の入国審査場の屋内ははじめて撮影されたそうだ。
いくつかの二十年代の時代相を印象づけるエピソードも興味深い。たとえば移民たちが並ぶ列でマグダがすこし咳をすると、たちまち係官から結核を疑われるシーンは当時の社会意識が如実に示されている。
あるいはエヴァがバナナをもらった場面で皮を剥いて食べることを知らない彼女はそのまま口にしようとする。ジェームズ・グレイ監督がマリオン・コティヤールのために書きおろした物語にはロシア系ユダヤ人である同監督の祖母の実体験が込められていてバナナのエピソードもそのひとつなのだった。
エヴァを強制送還から救ったブルーノはじつはバーレスクのショーと売春斡旋をなりわいとする男で、そのためエヴァは踊り子兼娼婦となって妹のためにお金を稼ぐようになる。入国審査はフーゾク供給のために女を品定めする場所でもあったらしい。
そしてマグダが隔離される施設。この映像をみているうちに昔のヴェネツィアにあったという「治癒の見込みのない人たちの病院」を思い出した。貧困層がいったん重い病気にかかると送り込まれる施設で、それまでの生活とはすべて遮断されてしまう。須賀敦子はヨーロッパの国々、とくにフランスやイタリアの貧しい階級の人たちのあいだには「病院は死にに行くところ」「病院に入れられたら、もうおしまい」という考え方が根強くあり、また英語のホスピタルにあたる公営の病院を指すオスペダーレというイタリア語には、日本人が迷信的とさえ思えるほど不吉なひびきがあるという。貧しい人たちにとっての病院の社会史である。クリニックというプライベートな病院はオスペダーレとは厳密に区別され、富裕層や有名人がオスペダーレで最期を迎えることはない。
エヴァが妹マグダを思う心には、ともにアメリカで暮らしたいという願いとともにヨーロッパの貧困層にとっての病院の社会史が反映している。
(二月二十六日TOHOシネマズシャンテ)