『幾夜寝覚』(伊太利亜旅行 其ノ二十二)


旅から帰り、何冊か読んだイタリア旅行記の一冊に井上究一郎『幾夜寝覚』がある。1909年生まれの著者が1989年にイタリアを旅したときの紀行文で、このときは『プルースト全集』に収める『失われた時を求めて』の最終巻『逃げ去る女』の訳稿決定を前にしての旅で、その旅行記について「自分の目が見とどけなくてはおそらく命果てるまで悔いをひきずることになるであろう事柄をめぐっての、いわば海彼(かいひ)の旅の告白である」と述べている。
『幾夜寝覚』には『失われた時を求めて』の訳者の本らしく随所に作者プルーストと作品への言及があり、また訳文が散りばめられていて文学の香気が漂う。たとえばフィレンツェを訪れたときには『失われた時を求めて』の話者が語るフィレンツエの夢が話題にされる。ゆりの花やアネモネがフィエーゾレの野を被い、アンジェリコの絵さながらの金色の背景がフィレンツェをまばゆくしている、そんな春をプルーストは叙述している。