「凶悪」

エンドロールが終わったとき緊張と疲労と圧倒された気持で、瞬時であるが立ちあがる力を失っていた。
白石和彌監督の作品に接するのは本作がはじめてだが、なるほど師事した若松孝二のパワーを彷彿とさせる。
ヤクザの組長だった死刑囚の須藤順次(ピエール瀧)が闇に葬られたままの保険金殺人を獄中から告発する。罪に問われないままシャバでのうのうと暮らす通称「先生」(リリー・フランキー)という木村文雄への復讐心が駆り立てた行為だった。
告発者にどこの誰を殺したという記憶さえなく、物証もきわめて乏しい事件を雑誌記者である藤井修一(山田孝之)が調査に当たる。一瞬映った記者の書棚にはハヤカワポケットミステリがたくさん並んでいたからミステリーファンなのだろう。会社も家庭も顧みず邁進する真相究明はほとんど狂気に近いものとなり、やがて露呈する現実、恐怖の真相は心に痛い。

「先生」はつぎつぎに殺人を企む。老人介護の施設に対象者は事欠かない。借金で首が回らなくなった老人の家族に生命保険を掛けさせるとつぎには老人を差し出させ、須藤とその部下の実行部隊が病死あるいは自殺と見せかけるよう取りはからう。
先生は言う「老人を殺すだけで金が溢れてくる。世間じゃ不況だデフレだと言ってるけど、ここはまるで油田だよね」。
須藤の暴力の重量感と「先生」の怪しい軽さが交錯するスクリーンはとても不気味だ。疲弊した地域と荒廃した人心をブラックな資本主義が覆うエグい現実のもとで起こる「凶悪」の犯罪にスリルとサスペンスが生むエンターティメントの幸福はない。
真相を追求する藤井記者の生活もこの現実につながる。家庭では妻(池脇千鶴)に認知症の母親の世話を託し、自分はそれを無視あるいは忘れたかのように事件にのめりこむ。犯罪者に向き合う藤井のなかにも、認知症の夫の母親と向き合う妻のなかにも「凶悪」の芽は潜んでいて、それは死体を切り刻んで焼却炉で焼く須藤や「先生」の「凶悪」と無縁ではない。
美が発見されてきたように「凶悪」も発見される。雑誌記者のカタギの夫婦はそれに気づいている。「凶悪」は極悪非道な犯罪者だけのものではない。
最後になったが、山田孝之を顔色なからしめたというピエール瀧のいつ爆発するかもわからない不気味さと狂暴、そしてリリー・フランキーの怪しい軽さ(「そして父になる」で赤ちゃんを取り違えられた福山雅治の相手方である電気製品の修理屋のおじさんと見較べるとさらに興味深い)を帯びた狂気の演技は特筆しておかなければならない。
(十月四日ヒューマントラストシネマ有楽町)