マンハッタン夜景(市俄古と紐育 其ノ九)

先日ローレンス・ブロックの『泥棒は図書室で推理する』を読んだ。「泥棒バーニイ・シリーズ」の一冊で、わたしがこのシリーズを手にするのは三冊目だから熱心なファンとはいえないけれど、なにしろレイモンド・チャンドラーが「殺人を本来あるべき卑しい街に置いたダシール・ハメットへ。このささやかな本が本棚の貴兄の本の隣りに並べられることを信じて。感謝と友情を込めて。レイモンド・チャンドラー」と書いて寄贈した『大いなる眠り』の初版本をバーニイが秘かにゲットしようというのだからハードボイルド小説のファンとしては見過ごすわけにはいかない。
いつもながら情報に疎くて本書がハヤカワ・ミステリで刊行されたのは2000年で、先ごろ古書店の105円均一本で求めたが、それはともかくチャンドラーがハメットに会い、自著を贈り、その場にリリアン・ヘルマンもいたというシーンは架空の話ではあるが魅惑の設定で、ついでながらハメットとヘルマンはチャンドラーを迎える直前まで、ヨーロッパにいるジュリアのことを心配して話し合っていたというのがわたしの想像であります。
ところで当方、これまで泥棒バーニイがどこに住んでいるかなんて忘れていたけれど、彼は泥棒稼業のいっぽうで古書店を営業するニューヨーカーなんですね。街のたたずまいもお気に入りで、田舎もいい気分転換にはなるけれど、やっぱりぼくは都会派だなと語っている。
「ブライアント・パークのベンチに坐って、さまざまな人々が行き交うのを見ているほうがずっといい」、その代わりといってはなんだが地下鉄のラッシュアワーにも、サイレン鳴らして走る消防車にも文句は言わない、そこは都会派として甘受しなければならないと考えている。

そして彼は、窓からは息を呑むようなセントラル・パークの景観が眺められるアールデコ風のアパートメント・ハウスの最上階で、メル・トーメのアルバムを聴き、革表紙のヴィクトリア朝時代の小説を読んでいるうちにうとうとして眠ってしまう、差し込む明かりはやさしい北明かりといった夢を見るのだが、ニューヨークに行ってみて、ここにある「息を呑むようなセントラル・パークの景観」が実感として理解できるようになった。
こんなふうに本のなかの人物や情景がより具体的なイメージで迫ってくるのが旅行の効用のひとつで、本を読むのがいっそうたのしくなる。そしてバーニイが聴いているメル・トーメのアルバムは「Songs of New York」じゃないかしらと思ったりしている。「ニューヨークの日曜日」「ニューヨークの秋」「バードランドの子守唄」「ブロードウエイ」「四十二番街」「マンハッタン」「ハーレムノクターン」「ニューヨーク、ニューヨーク」などこの都市にちなんだ十三曲が収められている名盤かつわが愛聴盤である。
こんどの旅行はニューヨーク夜景ツアーというのをオプションで付けてあった。
ブルックリン橋のたもとやハミルトンパークから見るマンハッタンの夜景は聞きしにまさる素晴らしさで、ニューヨークっ子が愛してやまないのがよくわかる。観光政策としてもこの光景が損なわれないようコマーシャルのネオンを禁止するなど行政当局もずいぶんと気を遣っている。

はじめてこの夜景を目にして即座に思ったのが上のアルバムにある「マンハッタン」で、この曲は眼前の夜景に寄り添いつづけているにちがいないとそっとハミングしたのだった。
わたしはこの歌をリー・ワイリーのアルバム「ナイト・イン・マンハッタン」ではじめて知った。リー・ワイリーはスウィング時代の一九三0年代から活躍していた白人女性ジャズシンガー(インディアンの血を引いているともいう)で、エレガントで繊細で、そして情のこもった、すこしハスキーな声が魅力の名花だ。なかでもアルバム「ナイト・イン・マンハッタン」は素晴らしく「マンハッタン」はその冒頭にある曲だ。一九五0年代はじめの吹き込みということもあって、どこか懐かしく、美しく洗練されたニューヨークの面影を彷彿とさせ、ボビー・ハケットのコルネットによるオブリガードが錦上花を添えてくれている。メル・トーメの、またリー・ワイリーの「マンハッタン」未聴の方、ぜひ御一聴あれ。

「マンハッタン」では「はじめて秘かにキスをしたセントラルパーク」や「草木のあいだで恋人たちがたのしんでいるヨンカース」が歌われ、そんななかに
We'll go to Coney and eat bologny on a rollという一節がある。コニーアイランドではロールパンにボローニャソーセージをのっけて食べようというのだが、何か謂われがあるのだろうか。残念ながら今回は予習不足で実行出来なかったけれど、次回のニューヨークではぜひ由来など勉強して食してみよう。