メトラに乗ってダウンタウンへ(市俄古と紐育 其ノ二)

今回ニューヨークでは旅行社の企画に添って旅したが、シカゴでは友人のI氏夫妻が感じた市民の日常生活の日米比較を聞きながら町を案内してもらった。
なるほどスーパーマーケットで販売している牛乳、ジュース、パン、バター、果物等々を見るといずれも日本より一回りか二回り大きく、量も多い。ちょうどスターバックスでショートサイズのコーヒーを頼んだところ、日本のトールサイズ相当だったのに類似している。はじめて入ったレストランの食事の量の多さにわたしの胃袋はいささか緊張し、びっくりしていた。平均的な体格からすればあたりまえかもしれないが、まことによく食う。まずはその多さにアメリカを感じた。

ところで、I氏の住まいは郊外の住宅地にあって、ダウンタウンへの公共交通機関イリノイ州内の鉄道路線メトラ(Metra)を使う。時間はおよそ五十分。
わたしたちがメトラに乗ったのはちょうど日曜日、サッカーの試合があるとの由で二階建て列車は満員だった。休日割引往復7ドルの切符は車内で買うことになっている。だけど乗務員は一階席で手一杯でわたしたちのいる二階には寄りつかない。とうとう車内では買えず、到着地のダウンタウンの駅構内でも販売はなく、やむなく駅を出てシカゴ現代美術館へ向かったのだが、およそ日本では考えられない大らかさと杜撰粗雑である。
この日はシカゴ現代美術館、ウィリス・タワー等を廻り、夜はブルー・シカゴでブルースのライヴを聴いた。目の当たりにした黒人のリズム感覚に一驚して、シカゴ川の川明かりを見ながら駅に向かい、最終一つ前のメトラに乗り、ここでようやく乗務員から切符を買った。

「7ドルだよ」と言う。往復乗ったには違いないが、しかしどの客が往路でメトラを利用したかなんてわからないだろうから、試しに「片道の利用なんだけど」と言っても「うんにゃ、7ドル」と往路復路などどこ吹く風である。
往路を利用した客は復路も利用するはず、だから往路でただ乗りになっても復路でチェックできるから大丈夫という考え方なのだろう。これが日常のアメリカ式合理主義なのだろう。