「コンプライアンス 服従の心理」

慌ただしい週末のファストフード店。店長の中年女性サンドラ(アン・ダウド)に警察官を名乗るダニエルズ(パット・ヒーリー)という男から電話がかかってきた。店内で若い女性の従業員に金を盗まれたとの訴えがあり、緊急を要するので警官が着く前に服とバッグの検査をしておくように、この点は店を運営する本社本部長とも協議済みだから、と。
店長が、若い女性店員といえばベッキー(ドリーマ・ウォーカー)かしらと口をすべらしたところ、相手はそう、そのベッキーだという。店長はこの店員の勤務態度を快からず思っていたようだ。こうして当の店員が呼び出され検査を受ける。
身に覚えのないベッキーだったが、とりあえず服のポケットとバッグの検査に応じれば潔白が証明されるはずと調べに応じた。
サンドラが、服にもバッグにも盗まれた金はないと報告すると威圧的な電話の男は服を脱がせて下着に隠していないか調べるよう命じる。そしてベッキーに対しては容疑者として拘留を避けたいなら店長の指示に従い服を脱ぎ検査に応じるよう説得し、彼女もやむなく応じる。
こうして電話からの要求はだんだんエスカレートし、そのかん副店長や他の従業員が関与する場面はあるが、事態の本質は覆われたまま、やがてとんでもない出来事が起こる。
警察沙汰への恐れ、トラブルは穏便にという事なかれ主義、上司や本社の意向に逆らうことの怯えといったカタギの心理を逆手に取り、ダニエルズは相手を自在に操った。二00四年に、アメリカの地方都市のファストフード店で実際にあった事件だという。

渦中にあった人たちの判断力、社会常識の欠如をいうのはたやすい。しかしニセ電話を見抜けず「権力」に服従した類似の事件は引き続き起こっている。日本で振り込め詐欺が止まないように。
情報機器の発達とともに顔の見えない相手とのやりとりはますます広がりを見せている。現代の人間交際の特徴のひとつである。FacebookTwitterと違い、電話はとくに新しい機器ではないが、ここでは身元確認を避けるためにプリペイド式の携帯電話が使われている。
ゴーゴリの『検察官』にあっては姿形を目の当たりにしてなお誤解と誤認、取り違えを生んだが、見えない相手とのやりとりは新しく異質なトラブルを生んでおり「コンプライアンス 服従の心理」はそのことを如実に示している。
電話の向こうで顔の見えない相手が権威、権力をちらつかせてあれこれと指示を出す。指示された側は、情報が遮断された密室で、その人物の姿、表情すら検証出来ず、咄嗟の判断がつかないまま指示に従ってしまう。
見えない相手への対応という現代的で不気味な現象がつづくうちに緊張度は高まり、終わったときわたしは怒りと不快感でぐったりと疲れていた。

突然になじみのない不気味な相手への対応を迫られ、やがて追いつめられるというドラマは「激突!」を思わせる。現代の社会問題に密着しているぶんクレイグ・ゾベル監督に手放しの快哉を叫ぶのはためらわれるけれど、しかし本作がスピルバーグのあの作品と同様に卓越していることは明らかだ。
わたしが高校や大学で教えているなら、必見の視聴覚教材にしたいな。
(七月四日シネマカリテ)
    □
余話
コンプライアンス 服従の心理」を上映している新宿のシネマカリテは具合のよいことに道路をへだててスターバックスがあり、喫茶と読書のあとで映画にしようと、早い目に出かけてチケットを購入したところで思わぬことになった。
スマートホーンの予定表には18:25はじまりと記入してあった。
映画館で時間表を見ると18:20とある(と見えた)。
(と見えた)というのは16:20とあるのを6:20と見て、あれ五分早い18:20なんだと速断したのかもしれないという意味だ。
そこで「6:20の回、シニア一枚」と言うと従業員の方から「16:20の回ですね」と訊かれ、一瞬えっと思ったが即座には判断がつかず「はい」と答え座席指定をして購入した。このとき15:40。
スターバックスに座ってようやくまちがいに気づいた。「18:20」と言わなくてはならなかったのに、と。

こうして無事に映画は観られたものの、突然の戸惑い状態に落ち着きを失い、咄嗟の判断もつかず、確認作業もしないまま、相手の言葉に引きずられてしまったわたしの姿は、電話で警察を名乗る男の言うがまま自在に操られてしまった「コンプライアンス 服従の心理」のサンドラ店長の姿に重なる。
チケット売り場でのやり取りは、映画の先取り現象だった。
それとも認知症の前段状態と解釈すべきだろうか。