無縁坂

森鴎外「雁」は一九五三年にお玉の高峰秀子、岡田の芥川比呂志、お玉を妾とする高利貸し末造に宇野重吉、六六年にはそれぞれ若尾文子山本學小沢栄太郎で映画化されている。お玉の住まいは無縁坂のとちゅうにあるから、ここへ来るとおのずと映画の二人のお玉の面影が浮かぶ。
「雁」は一八八0年(明治十三年)の話で、坂の道幅はいまも広くはないが映画の無縁坂はさらに狭く、いまマンションが建つ北側は長屋が建て込んでいて、対照的に南側はいまの岩崎庭園、当時の岩崎邸だった。いま坂上には東大医学部付属病院が建つ。
無縁坂を下りて不忍池に出て上野の山をぶらつくのが医学生岡田の散歩コースだった。反対に末造は池之端の自宅から坂を上がって妾宅にやって来る。そのころの岩崎邸の塀は堂々としたものではなく、きたない石垣が築いてあり、苔むした石と石とのあいだから歯朶や杉菜が覗いていたと鴎外は書いている。