「L.A.ギャングストーリー」

家族愛や人種差別問題とかが強調されて、ともすればアクション映画としてのおもしろさが減退してしまう傾向の見られる昨今のギャング映画だが、「L.A.ギャングストーリー」は原点回帰で娯楽性を徹底追求していてまことにめでたい。その心意気に嵐寛寿郎の「ゲイジュツ関係おまへん」の名言が思い出された。

一九四九年のロサンゼルス。街はギャングの帝王ミッキー・コーエン(ショーン・ペン)に牛耳られていて警察もうっかり手出しのできない状況にある。裏で手を結ぶ警察幹部もいるひどいありさまだ。そんななか、おのぼりさんの女の子がかどわかされてコーエン経営の娼館に連れ去られる。躊躇する同僚を尻目に単身乗り込んで救出したのがジョン・オマラ巡査部長(ジョシュ・ブローリン)だ。
この行動に頼もしさを覚えたロス市警のパーカー本部長(ニック・ノルティ)はコーエン撲滅のための極秘スコッドを組織することを決意する。
特命を受けたオマラ巡査部長は一本釣りで六人のグループを組織する。事案が起きて首謀者の逮捕に向かうのではなく、非合法組織を装い抗争を仕掛ける逸脱スコッドだ。「七人の侍」に「県警対組織暴力」がミックスされたB級テイスト漂う凄絶な戦いが堪らない。
    
キャストがまたいいんだねえ。
自分の賭場を襲撃した連中が金を盗まず焼いて引き上げたと聞き「薬の効かないやつらほど厄介なものはない」とミッキー・コーエンは相手が何者かを悟る。ショーン・ペンの鋭さと暴力と病的な苛立ちの表現はさすがだ。
ジェリー・ウーターズ巡査部長のライアン・ゴズリングは「ドライブ」のタフとクールをここでも発揮している。オマラ巡査部長に「バケツで水をかき出すなんて徒労の極みだ。それよりもスイスイ泳いで渡ることを覚えるんだな」とうそぶくが、やがて見知りの靴みがきの子供が流れ弾に当たって死んだのを見て翻意する。
「あんな男がタイプなのか」
「あっちのタイプがわたしだったってこと」
コーエンの情婦グレイス(エマ・ストーン)と彼女に恋したこの警察官とのやりとりも見どころのひとつ。
もとよりジョシュ・ブローリンのジョン・オマラ巡査部長の強面と一本気なパワーの炸裂なしにこの作品はない。くわえて一人称の語りがハードボイルドの雰囲気を大いに高めている。
その一本気、猪突猛進を夫が自身でコントロールするのは無理とみた妊娠中の妻コニー・オマラ(ミレイユ・イーノス)は夫を支え、ともに対応策を考えることで夫の落命だけは防ごうとする。身体を張ったインサイドワークである。「極妻」ならぬ魅力的で頼もしい巡査部長の妻だ。
そして一九五0年代はじめのロサンゼルスを舞台にした「狼たちの街」で市警特別捜査班の一員として荒技を発揮してとうとう軍隊を相手にやりあったニック・ノルティが年齢を重ねたいまロス市警本部長を演じる。胸が熱くなる配役ではないか。
    
時代考証を云々できる柄ではないけれど、うれしいことにこの映画にある街の風景や男女のファッション、女性の化粧などには当時のジャズのレコードジャケットとおなじ雰囲気が漂っていて、四十年代後半から五十年代にかけてのアメリカン・グラフィティといったおもむきがある。
監督はルーベン・フライシャー。二0一0年の「ゾンビランド」で知られるが、不覚にもゾンビという題名から敬遠していたがそんなこと言っちゃいられない。この記事をアップしたらすぐにレンタル店へ走るぞ!
(五月三日TOHOシネマズ六本木ヒルズ