根津八重垣町


永井荷風関東大震災後の上野公園の変化を眺めながら明治以降のこの界隈を偲んだ「上野」という随筆があり、公園はじめ池之端、向ヶ丘、根津、千駄木、谷中等のかつての姿を知るのに簡にして要を得た最良のガイドとして重宝している。
そのうち根津については「根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在ったことは今猶都人の話柄に上る所である」として松子雁『饒歌余譚』に「根津ト称スル地藩ハ(中略)之ヲ七箇町ニ分割ス。則曰ク七軒町、曰ク宮永町、曰ク片町等ハ倶ニ皆廓外ニシテ旧来ノ商坊ナリ。曰ク藍染町、曰ク清水町、曰ク八重垣町等ハ僉廓内ニシテ再興以来ノ新巷ナリ」とあるのを引いて傍証としている。
東大の本郷立地にともない隣り合わせの根津遊廓は風紀上の問題から深川洲崎へ移転となった。引用文にあるように八重垣町は色町のなかにあったが、いまその一角には木造の瀟洒な根津教会が建っている。