雪の赤門

茶店を読書室としているので、一日一度は珈琲を飲みに出かけるが、さすがに一月十四日の大雪の日は出て行きかねて自宅に籠もった。翌日は前日の借りを取り返そうと喫茶店そうして映画館へと本郷通りをあるいていたところ、雪景色の赤門の白と赤の彩りを見て、しばし立ち止まった。
ここが加賀前田家第十二代藩主前田斉泰が将軍徳川家斉の娘溶姫を迎えた際に造られた同家上屋敷の御守殿門であるのは御承知のとおりだが溶姫についてWikipediaには家斉の第二十一女とあり、鈴木棠三『江戸巷談 藤岡屋ばなし』は第三十八番目の姫君としている。将軍が子福者で見さかいがつかなくなったのだろうか。
『藤岡屋ばなし』には「御守殿が出来て町家もかたはづし」という落首が見えている。かたはづしは奥女中や武家の奥方が結った髪型の謂いだが、ここでは赤門建造により附近の町家が火除地として取払いとなり代地に移り住んだことに掛けられている。