駅伝の碑


不忍池のほとりに建つ駅伝の碑。建立は新しく、裏面に平成十四年(二00二年)五月一日とあり、それに係わった日本陸上競技連盟をはじめ全国高等学校駅伝競走大会東京箱根間往復大学駅伝競走といった多数の競技団体の名が刻まれている。
碑文にあるように一九一七年(大正六年)四月二十七日、二十八日、二十九日の三日間にわたり東京奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が催された。スタートは京都三条大橋でゴールはここ上野不忍池の博覧会正面玄関、コースの総距離数二十三区間、五百八キロを東西対抗で競った。関東組が一高、東京高師、早稲田の学生が主体だったのに対し関西組は名古屋の愛知第一中学の生徒が中心だったから勝利は東軍がおさめた。
この東海道駅伝は評判を呼んだ。第一回箱根駅伝が開催されたのは三年後一九二0年のことだった。