吉原見返り柳

大須演芸場での古今亭志ん朝「お見たて」のまくらで志ん朝さんは、おなじ町内の若い衆に吉原へ遊びに連れて行ってもらった体験を語っている。「明烏」を地でゆくようなもので、席亭の個人的な録音がCD化されるとわかっていたらこういう話は避けただろうから、泉下の師匠は苦笑しているだろう。
志ん朝さんが吉原へ行ったときの遊び代は一回五百円。前座で二日働くと五百円になったから千円手に入れるとすぐそちらへ行っちゃったとか。一九五八年(昭和三十三年)売春防止法の施行により赤線は廃止された。師匠は一九三八年の生まれだから五百円は赤線最後のころの値段だった。
野口冨士男『作家の手』所収「芸者の玉代」に東京、白山のそれの変遷表が添えられている。戦後は一時間単位が相場で一九五五年八百円、六0年千円とある。志ん朝さんが遊んだ赤線末期の吉原が五百円、おなじころ白山の玉代が八百円、経験はないが納得のゆく数字のように思える。