「人生の特等席」

アメリカ映画がお家芸としてきたひとつに野球映画がある。
「打撃王」「甦る熱球」「がんばれ!ベアーズ」「ナチュラル」「フィールド・オブ・ドリームス」、ミュージカル作品では「私を野球につれてって」「くたばれ!ヤンキース」・・・・・・近くは「マネー・ボール」。これらベースボール・ムービーの名作群にこのほど「人生の特等席」がくわわった。
クリント・イーストウッドが主宰するマルパソ・プロダクションの作品なのだがイーストウッドは監督に盟友のロバート・ロレンツを据え、自身は老いたスカウトマン役に専念している。
たとえば列車強盗や殺人で名を馳せた伝説的なアウトロー(「許されざる者」)、あるいはボクシングの止血係として活躍したのちいまは流行らないジムを経営する老いたトレーナー(「ミリオンダラー・ベイビー」)のようにこれまで追求してきた役どころを思えばイーストウッドが大リーグで名を轟かせてきた老スカウトマンとしてスクリーンに復帰したのはまことにふさわしく、まためでたい。

ガスはアトランタ・ブレーブスで長いあいだ実績を誇ってきたスカウトマンだ。彼が信条とするのは視覚、聴覚、嗅覚等による徹底的な観察だ。だからコンピューターによるデータ分析とは相容れない。年齢による衰えやIT化の流れに乗れないガスへの球団フロントの信頼度はだんだんと低くなっている。そのうえ緑内障と疑われる症状があらわれた。
自身の観察力だけでスカウト活動してきた男だから球団には彼をカヴァーし、サポートできる者はいない。できるとすれば一人娘で弁護士のミッキー(エイミー・アダムス)だけだ。早くに妻を喪ったガスは幼いミッキーを仕事に同行させており、ガスの視覚役を務められるのは彼女しかいない。けれどいま父と娘は疎遠状態にあり、父は娘の同行を拒否しようとする。他方娘は父に付き添うと決意する。
メジャーリーグのスカウトマンの世界、父娘の秘められた過去と和解、かつてガスに見いだされた選手でいまは他球団のスカウトマンとなっているジョニー(ジャスティン・ティンバーレイク)とミッキーとの恋の行方といった複数の主筋を進行させる手際が鮮やかだ。
ガスが亡妻を偲んで歌う「you are my sunshine 」〜君は僕の太陽、僕だけを照らしてくれている〜が泣かせる。いままでの「知っている歌」はこの映画で「忘れられない歌」となった。
そしてラストには思いもよらない偶然が待ち受けている。まるで「カサブランカ」のリックの店にイルザがやって来たような。
出会いとすれ違いの偶然に寄りかかる数多の凡庸なメロドラマがそうであるように、偶然に頼るとドラマが安っぽくなるばあいが多々ある。けれどおなじメロドラマでもヴィヴィアン・リーロバート・テイラーの「哀愁」はちがう。おなじ甘さでもサッカリンと砂糖のちがいだと双葉十三郎さんは評した。
『ぼくの採点表』には「古今東西、人間が何にうっとりし何に泣くかということは大体きまっている。それを古いかたちのまま出すか新しく装って出すかのちがいである。この映画(「哀愁」)も底を割ってみれば極めて単純なのだ。が、そこにこそ作劇の秘密が潜んでいるのである」とある。サッカリンと砂糖のちがいを解き明かすヒントであろう。
「人生の特等席」のラストのミッキーとある男との出会いはもちろん砂糖の甘さに譬えられる。巧みなのは見せ場の盛り上げ方と伏線の張り方、そしてこの偶然の出会いは興奮と爽やかさをもたらしてくれる。
(十月二十四日TOHOシネマズ六本木ヒルズ