駒込にある吉祥寺は本郷通りに面した曹洞宗の大きな寺だ。境内には駒澤大学の母体となった学寮旃檀林(せんだんりん)があり、ここは幕府の学問所である昌平黌と並ぶ漢学の一大研究地で常時千人余の学僧がいたという。
寺はまた八百屋お七がよく通ったところとして知られ、お七、吉三郎の比翼塚が建つ。もっともお七が恋したのは火事で避難した正仙院という寺の小姓生田庄之介だったとか。井原西鶴の文業がお七、吉三郎の名を挙げた。
昭和十六年、明治の専門部に入学した岡本喜八がさいしょに下宿したのは吉祥寺の前の材木屋だった。のちの映画監督はさっそくふるさと島根の口も利いたこともない初恋の人にラブレターを送った。吉祥寺とお七の係わりを知ったのがきっけけで、彼女は八百屋の娘だったので岡本はひそかに「お七」とあだ名していた。意を決した恋文だったが反応はなく梨のつぶてだったという。
岡本喜八『マジメとフマジメの間』所収「本郷駒込吉祥寺」に書かれてある。