中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ一)

九月の中旬から下旬にかけてハンガリーブダペスト)、オーストリア(ウィーン、ハルシュタットザルツブルク)、チェコ(チェスキー・クロムロフ、プラハ)という旅程で中欧三カ国の旅に行ってきた。
この地域にはかつての王権、教皇権の威容を誇る建築物が多くあり、いまでは歴史遺産が人々の生活に美しさと潤いをもたらしているように見える。美しい街並みともども街全体が歴史と風土により形づくられた見事な「作品」「美術館」のように映る。
  
(写真左はブダペスト市内、山の手のブダの丘からドナウの流れを見おろした景観は「ドナウの女王」とか「ドナウの真珠」と呼ばれている。右はプラハ市内。)
いずれもカソリック教徒が多数を占める地域であり、教会には多くの絵画や彫刻が展示され、それらは大きな観光資源となっている。翻って偶像を禁止したプロテスタンティズムはこのような観光資源は持っていない、となれば経済的にはカソリックが先見の明があったのかなあなんて不埒なことを思う。なんだか神をも畏れぬことを言っているのかも知れないのでこの話題はここで止しておきましょう。
  
(写真左は聖イシュトバーン大聖堂、右はマーチャーシュ教会にて)
この中欧三カ国は近現代において、地理的に近いドイツやソ連により翻弄、蹂躙されたという点で共通している。第二次大戦後でいえば、オーストリア永世中立国となったが、ハンガリーチェコは東側にあってソ連社会主義とは一線を画そうと民主化運動を試みたけれどソ連により弾圧されてしまった。チェコ大使館に勤務していた外交官の春江一也が書いた小説『プラハの春』には一九六八年のソ連軍によるチェコ・スロバキア占領については、アメリカは黙殺することでベトナム戦争の取引材料としたという記述がある。
ところでこの地域を舞台とした映画といえば「会議は踊る」「第三の男」「アマデウス」「サウンド・オブ・ミュージック」「存在の耐えられない軽さ」などがあって、映画の性格は違っていても国際政治の陰影をなんらかのかたちで帯びている点では共通している。今回の旅はこれら名作群の舞台の訪問でもあり、もちろん心躍る体験となった。
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カサブランカ」「第三の男」いずれもわたしを映画の虜にした作品だ。ふたつともにハンガリー出身者が深く関わっていて、前者の監督マイケル・カーチス、後者のプロデューサのひとりアレクサンダー・コルダはいずれも同国出身者なのだけれど作品はハンガリー映画ではない。
中欧の旅で映画とミステリを思う」なんて標題を付けたのだが、困ったことにハンガリーと映画やミステリの結びつきとなるとなかなか思い浮かばない。かろうじて数年前に「人生に乾杯!」というハンガリー映画の秀作を観ているが、今回訪れたブダペストの光景はまったくなかったようだった。
でもせっかくだからストーリーだけでも記しておきましょう。少ない年金で暮らす八十一歳の夫と七十歳の妻のハンガリー人老人夫婦が電気、水道を止められたのを機に、最後にひと花とばかりに銀行強盗をやらかし、国家の心ない仕打ちを告発して逃避行に及ぶ。と書けば深刻な話と思われそうだが、じっさいは「俺たちに明日はない」のパロディの趣があり、ボニーとクライドをハンガリーの老人夫婦がユーモラスに演じるうちに同国の経済状況や老人福祉のありようが浮き彫りにされるといった作品である。
ハンガリー映画ではないがジョン・ル・カレ『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』を原作に、ゲイリー・オールドマンが英国情報部のジョージ・スマイリーに扮した「裏切りのサーカス」にもほんのわずかだがブダペストの街頭を舞台とするシーンがある。
英国情報部の責任者コントロールから、亡命を希望するハンガリー軍の幹部と接触せよとの密命を帯びたジム・プリドーがブダペストに出向き、街のカフェで軍幹部を待っているうちに周囲の雰囲気がおかしいと気付き、罠にはまったと知ったプリドーは作戦を中止したが、時すでに遅く、ウェイターに身をやつしたソ連の諜報員に背中を撃たれ生け捕りにされてしまう。いっぽうコントロールは事件により引責辞任に追い込まれたが、これにより英国情報部内にソ連から送り込まれた二重スパイ(もぐら)がいることが明らかになる。こうしてもぐら追求の引き金になったのがブダペストの事件だった。

そんなわけで、写真のブダペスト街頭のカフェを見て、そういえばジム・プリドーはこのような風景のなかにいたなあなんてことが思い浮かんだ。
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センテンドレはブダペストの中心部からから北へ二十キロほど行ったところにある。ドナウ川沿いにある小さな街はおとぎの国のような雰囲気で、川縁をあるいたり、迷路のようにたくさんある細い路地に入ったりの楽しい散策となった。
   
ここの名物にマジパンというお菓子があり、その博物館に行ったところマジパンを素材にした展示用加工作品が数多く飾られていて、映画の関連では下のマイケル・ジャクソンと「オズの魔法使い」があった。
ハンガリーはまだユーロではなく現地通貨が用いられているから、その通貨フォリントを使い切っておかなければならない。ネットで顔を出すのはどうもなので割愛するが、ここでマイケル・ジャクソンがかぶっているよりやや小ぶりなソフト帽を買い、マジパン等身大の彼と写真を撮った。
    
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ブダペストの夜はビールやワインを飲みながらドナウ川のナイトクルージング。写真の川沿いに建つのはハンガリーの国会議事堂。

ガイドさんは高校の歴史の先生で、日本留学の経験もある素敵な女性だった。彼女によると議事堂はまことに立派な建物だが、政治の中味はおそまつで、経済状況は好転せず政治不信はかつてなく高まっているとのこと。どこかの国とおなじですな。しかし教師の給料だけではやっていけないので、授業のない日はガイドとして兼職兼業が認められているとの話には事態の深刻さが窺われた。自由はなくても最低限食べられたかつての社会主義を懐かしむ風潮もなくはないのだとか。
おやっ、こうして書いているうちに思いがけず先に紹介した「人生に乾杯!」にリンクした。あの老夫婦の逃避行にはわたしが思っていた以上に現代ハンガリー市民感情が色濃く反映していたのだった。