「鈴懸の径」石碑

立教大学プラタナスの並木道には「鈴懸の径」の歌碑があり、裏面には建立のいきさつを書いた金属板が嵌め込まれている。歌碑のほうはだいぶん磨り減って読みにくい状態になっていた。その傍には石碑が建つ。
「鈴懸の径」は昭和十七年に灰田勝彦(昭和十一年経済卒の立教OB)が歌ってヒットした。歌碑建立のいきさつを述べた銘文には「時あたかも太平洋戦争の最中であって、学舎に集う若人の夢と希望が、この歌に托され、ひろく愛唱された」とある。
同大学のキャンパスは赤い煉瓦の建物に木々や芝生の緑が映える。秋も深まると鈴懸の黄葉がまた別の趣をもたらしてくれるだろう。むかし全共闘運動が盛んなときわが母校に羽仁五郎先生が講演にいらして、よほど雑なキャンパスに見えたのか開口一番「こんな工場みたいなところで教育が出来るんですか」と口にされた。立教だったらそんなことは言わなかっただろう。