鈴懸の径

川上弘美さんの書評集『大好きな本』を読んでいたところ、須賀敦子『遠い朝の本たち』の書評に須賀さんの「戦争がすぐそこまで来ていた時代に、(中原)淳一は、この世が現実だけでないという事実を、あのやせっぽちの少女たちを描くことで語りつづけていた」という文章が引かれていた。
中原淳一の絵画と、戦争という時局との絡み具合というか絡まない具合はかつて灰田勝彦が歌ってヒットした「鈴懸の径」と似ているように思われた。こちらは昭和十七年のヒットだから戦争の真っ最中のことで、戦時に生まれた三拍子の奏でる抒情は奇跡とすら映る。
近代日本の歌曲のなかで「鈴懸の径」はわたしのワン・オブ・ベスト、久世光彦さんの書名を借りると「マイ・ラスト・ソング」のなかの一曲だ。作曲は灰田勝彦の兄、灰田有紀彦、作詞は佐伯孝夫、イメージされたのは写真の立教大学キャンパスの鈴懸の並木道だった。