丸谷才一氏の訃報に接して

昨夜遅くにネット上のニュースで丸谷才一さんが亡くなったのを知った。享年八十七、心不全だった。三十年以上にわたり読み継ぎ、私淑してきた作家の訃報に接した夜はとても寝つきの悪い一夜となった。
一九七0年代の後半、二十代の終わりになってはじめて丸谷さんの作品を読んだ。新潮文庫にある『笹まくら』という小説だった。大学生のとき高橋和巳を読んで以来ほとんど小説を読まないでいたわたしがどうしたいきさつからかこの本を手にした。

ジェイムズ・ジョイスに学んだ意識の流れの手法を用いて徴兵忌避者の戦前と戦後を描いた『笹まくら』は衝撃的な作品だった。応召の通知を機に天皇制国家という共同体から逃亡を図った男のいわば国内亡命は目的を達しはしたが、戦後はその共同体から報復を喰らう。
主人公の心に映る戦前と戦後を通して捉えられた日本の社会、逃亡のなかで出会った女との道行き、主義や思想に殉じてではなく、ただ何となく戦争へ行くのはいやだとの思いを抱いて天皇制国家という絶対者から逃避しようとする破天荒な企てがもたらすスリルとサスペンス。もともと逃避的性格の強いわたしはこの本の世界に夢中になった。
長篇第二作の『笹まくら』を読み終えるとすぐさま処女作の長篇『エホバの顔を避けて』の頁を開いた。

これは旧約聖書ヨナ記にもとづく物語。ここには預言者ヨナの、エホバの神という絶対者からの逃亡劇と、ヨナに心を寄せる社会の最下層の女、ラメテという娼婦との愛があった。
ニネベという共同体から石もて追われようとするなかで人間不信と疑心暗鬼に陥ったヨナにラメテは言う。
〈ーねえ、ヨナ、あたしも一緒にゆくのよ。あたし、最初からそのつもりだつた。二人でこの邸を出、この都を去り、平原と砂漠を横切り、河を渡るのよ。そして、どこか遠い町で、二人で生きようと思ふの。勿論いろいろ危険があるに決つてるわ。もしもあなたが怯えたら、あたしが励ましてあげる。その代り、あたしが臆病な女になつたとき、あなたに力づけていただきたいの。ヨナ、あたし、あなたを信じてるわ。だから、あたしを信じて。お願ひ、あたしと一緒にニネベから逃げて。〉
愛を語ってこれほどに胸を熱くする言葉をわたしはほかに知らない。
その後の丸谷さんの小説は『たった一人の反乱』を経てユーモアや諧謔の彩りを濃くしてゆく。そこには哀しみの多い人生だからこそ、それとは違った視座から人間と人生を見つめてゆこうとする作家の態度が窺われた。このことは結果として『エホバの顔を避けて』や『笹まくら』にあった絶対者への対峙とか共同体との緊張した関係という要素を薄めたが、いっぽうで華やかさや滋味の豊かさをもたらした。小津安二郎の映画でいえば「東京物語」に対する「秋日和」や「彼岸花」のように。
こうして小説に惹かれ、『男のポケット』をはじめとする知的かつ軽妙洒脱なエッセイに魅せられ、キレと冴えと説得力に満ちた評論に教えられた。
そして週刊朝日毎日新聞に掲載された書評を通じて面白くて刺激のある本を教えられ、読書のよろこび、愉しさを知った。もしもこの作家と無縁であったなら、自身の読書生活というよりも読書生活を含んだ人生はいまよりもずいぶん貧しくチープなものとなっていたにちがいない。そう言いながらわたしはいまだに丸谷氏の文学のバックボーンであるジェイムズ・ジョイスユリシーズ』には歯が立たないままでいる。これからの人生の課題のひとつである。
不慮の報道から一夜あけた。心からの感謝とともに御冥福をお祈りします。