録画で観た映画やワインのことなど

いささか旧聞になるが、この三月にCS放送からBSの一局としてお引っ越しをした日本映画専門チャンネルが新番組編成とともにずいぶんとパワーアップした。「ハイビジョンで甦る日本映画の名作」「日本映画百年の百選」「懐かしの銀幕スタア24」「市川崑の映画たち」等どれも見逃せない企画で、せっせと観ていないとハードディスクがぱんぱんになっちゃいそう。
録画したなかから題名すら知らなかった「二人の息子」を観たところ、これが思わぬ優れもので、時間の経過とともにソファに背もたれしていたのが、だんだんと背筋が伸び、前に乗りだし、それとともに心が引き締まって来るのだった。脚本松山善三。監督千葉泰樹
二人の息子(宝田明加山雄三)が直面しているのは苦境にある老夫婦(藤原釜足望月優子)の世話。長男の宝田はバーのホステスだった妻(白川由美が好演)との結婚に反対されて家を飛び出した経緯がある。次男の加山は長男とちがって自分は大学に行かせてもらえなかったわだかまりがある。
高度経済成長を前にした時期の家族のありようの変化や個人主義核家族志向を背景とする「二人の息子」は東宝版「東京物語」、いや、ここには東京に旅してきた老夫婦がいないというならば東宝版「日本の悲劇」と言い換えてもよい。東宝らしくラストは明るくアレンジしているが本質は変わらない。
自身の無知を承知で、千葉泰樹監督の隠れた名品と言っておこう。
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おなじく千葉泰樹監督「生きている画像」を観る。こちらは佐藤忠男『日本映画300』(朝日文庫)に選ばれてるくらいだから名前だけは知っていたが、これまで接する機会はなかったから、ようやく日本映画専門チャンネルの手で日のあたらない名作がハイビジョンで甦ったことになる。夜も遅く二回に分けてと思っていたけれどはじまるとたちまち虜になってこれは寝不足になっても仕方ないなと観念した。

「生きている画像」はまだ戦時色の濃くない昭和戦前、瓢人先生という画壇の大家(大河内傳次郎)とその弟子で帝展で落選続きの田西(笠智衆)とその妻(花井蘭子)を中心とした集団人情劇。
ゆるやかに流れる時間のなかにある日本人の立ち居振る舞いや心性がなつかしく、淡い水彩画のように描かれている。
恋人役の笠智衆が煙草に火をつけようとマッチを取り出すと、和服の袖で風を防いでやる花井蘭子のしぐさがいい。新妻になった彼女が部屋の片づけをしながら口三味線を弾いて小唄(端唄?)を口ずさむシーンも印象に残る。この女優さんの戦後の代表作は「生きている画像」で決まりじゃないのかな。
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市川崑監督の作品はできるだけこまめに観るように心がけてきたが「ぼんち」は未見で、さきごろ「市川崑の映画たち」で一見に及んだところ、いやー面白かった。
市川雷蔵の喜久治が若尾文子草笛光子京マチ子越路吹雪等との艶福を、絶妙な演技、軽妙な大阪弁で繰り広げる、まさに雷蔵版「好色一代男」。

船場女系家族の豪商の家を仕切る祖母(毛利菊江)が、孫の喜久治に京マチ子を妾にして女の子を産ませようというと、喜久治の母の山田五十鈴が、女の子が産まれるてどうしてわかりますのと訊く。すると祖母は、ワテはあんたを産んだと言いつつ胸をはだけ、ワテのようなむっちりした肌のおなごからは女の子が産まれるもんなんやと応じる。すると艶脂豊満の山田五十鈴が、まあ、わたしの肌よりむっちりしてる!
上原謙の恋人と目された桑野通子を追い落として娘の小桜葉子を上原の妻とした母親江間美津子は撮影所長の城戸四郎に「娘の引退の穴は、私が埋め合わせしますから」といい城戸は「鏡を見てからいえよ」と苦笑したという。それでも大部屋の女優になったそうだからたいしたものだ。
毛利菊江に感心するうちに、加山雄三のお祖母ちゃんが思い出され、船場のお婆ちゃんにに五分で渡りあえるのこのひとだけじゃないのかななんてことを考えていた。
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何年か前に思い切って集英社版『吉田健一著作集』(全三十巻に補巻二冊)を買った。百円均一や三冊五百円がもっぱらの者にはけっこう値の張る買物だった。年金老人となったいまだったら断念したかもしれない。
吉田の著作は某社文芸文庫がよく出しているけれど、あの値段で新仮名遣いはないだろうと嫌気がさしたためで文庫のむやみな高値がよい買物の後押しをしてくれた格好だ。

クネクネして辿りにくい文体、ヘンな論理的飛躍。吉田健一を読んでいると、ときに荒行苦行に入ったみたいで、しかしそこにはとても素敵なフレーズが散りばめれれていて難渋したことなど吹き飛ばしてくれる。夕暮れ時、横丁の小体な料理屋の軒燈に灯が入ってぽっと明るくなった、そんな気分になる。
健一の父親吉田茂が選挙区高知で定宿としていたのは城西館というホテルで、わたしの自宅はその近くにあった。小学の低学年のころ選挙演説をする姿を見た記憶がある。年表で調べてみたところ、たぶん一九五八年に行われた第二十八回衆議院議員総選挙のときだっただろう。選挙でもあまり帰郷はしなかったと聞くから得難い機会だったわけだ。
ものごころついてからは吉田茂なんて保守反動の親玉くらいにしか思っていなかった。そのうち子供を政治家にしなかったのと選挙区つまり高知県からの陳情団にはいっさい面会しなかったという「いごっそう」ふうな見識から窺える人間像に息子の文業を通じて触れてみたいと思うようになった。
その息子吉田健一の著作にはいつどんないきさつから親しむようになったのか、これがとんと記憶にない。
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戦前の銀座、数寄屋橋近くの電通ビルの地下に当時では珍しいイタリア料理の店があって、〈キアンティ〉のワインがおいてあり舶来を感じさせた、と吉田健一が「食べもの遍歴」というエッセイで回想している。いまわが家の冷蔵庫に鎮座ましますワインと活字で出会うと嬉しい。
オルダス・ハックスリーの短篇小説「ジョゴンダの微笑」では、罠にはめられたハットン氏が、イタリアの〈キリストの涙〉〈ユダの血〉といったワインを口にする機会もおれには二度と訪れないのかと嘆く。ここでは昨年初めて旅したナポリのレストランで飲んだ〈キリストの涙〉と活字で思わぬ出会いができた。
ちがいのわからない男にとって、口にする銘柄と活字や映像でお目にかかるのは一種の口腹の愉しみに繋がっている。「ローマの休日」では王女が新聞記者のアパートで〈キアンティ〉を飲み、お代りを所望していた。そんなことを思うと冷蔵庫のワインが一層輝いて見えてくる。
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〈キアンティ〉がイタリアへの呼び水?になったのかNHKBSで「旅情」を再見した。さいしょに観たのは三十年ほどまえだったかな。一九五五年の公開だから女性シングルの描写はさすがに図式的で古色蒼然としているのは否めないけれど、いっぽうで字幕に新しい単語が登場したりして歳月の流れを感じた。
新しい単語というのはロッサノ・ブラッツィがキャサリン・ヘプバーンに「きみは若くて高収入の独身男性を夢見ているのだろうが、それは飢えているのにラビオリは嫌で、ステーキがいいと不満を言ってるようなものだ。飢えてるなら目の前のラビオリを食べろ」と言うシーンで用いられる「ラビオリ」。
公開当時多くの日本人はラビオリなんて知らないからスパゲティとしたのをむつかし屋さんから誤訳との指摘があったとか。たしか清水俊二さんの本で読んだ。
ラビオリのあとのやりとり。
女「それほど飢えてない」。
男「僕らは飢えてる」とキスをする。
キスのあと男「飢えてない割には情熱的だ」。