桂三木助墓所


半年ほどまえの新文芸坐落語会で立川志らく師匠が「時そば」のまくらで、談志師匠が亡くなってからテレビがしょっちゅう「芝浜」を流すものだから、いまや一番有名な落語はあの噺になっちゃったと話していた。そうかもしれませんね。それまでは「時そば」だった。
もちろん「芝浜」を有名にしたのは桂三木助師匠の功績だった。桂文楽が内々で「芝浜」の試演に及んだところ、聞き手が目を真っ赤にしている様子を見て、落語は泣かしちゃいけない、笑わせなくてはと捨てたネタを三木助が拾ったという説がある。拾った者の慧眼というべきで、本当だとすれば昭和二十九年度芸術祭奨励賞は拾い物から誕生したことになる。
三代目桂三木助(一九0二年三月二十八日ー一九六一年一月十六日)は谷中五丁目の寺町の一角、朝倉文夫彫塑館からすこし三崎坂寄りにある観音寺に眠る。本名は小林七郎、花立に「姿見楼」とあるのは実家で、湯島天神下にあった床屋の屋号から来ている。