「あの日 あの時 愛の記憶」

アウシュビッツの収容所からの逃亡に成功した男女が生き別れになり、三十数年後に再会をはたしたという実話を基にした作品。
邦題「あの日 あの時 愛の記憶」は甘ったるいようだけど内容的にはその通りの説明となっている。ドイツ語原題は「DIE VERLORENE ZEIT」で「失われた時」、英題は「REMEMBRNCE」だから「追憶」「記憶」。三者いずれの標題も作品の特質をとらえている。

一九四四年ポーランド強制収容所ポーランド人の政治犯トマシュは強制労働下におかれている。囚人ハンナはベルリン生まれのユダヤ人女性。恋に落ちた二人はトマシュが収容所の実態を写したフィルムをポーランドレジスタンス機関に届ける密命をおびたのを機に脱走を企てる。
ドイツ人たちの眼を盗んでの密会それにナチスの軍服に着替えた男がユダヤ人の女を連行していると見せかけての逃亡シーンがとてもサスペンスに富む。命がけの脱走は成功するが、ここにポーランドレジスタンス組織とソ連との関係悪化とトマシュの母親の反ユダヤ主義が絡み、混乱状態の中で二人は離ればなれになってしまう。
男は母親から女が死んだと聞かされ、それを信じた。女は行き倒れになっているところを赤十字社に助けられ、戦後になって男を捜したが確証のないままの推定死亡の通知を得る結果に終わった。
それから三十年以上が過ぎた一九七六年、ニューヨークで夫と娘と幸せな生活を送っていたハンナは、ある日、テレビの画面に、収容所での体験を語るトマシュの姿を見た。ポーランドからの映像だった。ハンナは再度トマシュを捜し始める。一九四四年と七六年の映像の交錯がハンナの不安と期待を効果的に表現していて、おのずと観る者の緊張感を高めてゆく。
ハンナの急変にとまどう夫と娘。説明しようにも感情の極度の高ぶりでなかなか話せない。すこしは落ち着こうとふだんは吸わない煙草を手にするが、それが家族には余計に奇異に映ってしまう。逃亡中は入手すると吸っていたから煙草は「追憶」でもあった。ブルックリン橋のたもとに一人たたずんで煙草を吸うハンナのショットは激情を秘めた初老の女の哀切感を描いて印象的だ。しかしそんな彼女も家族の前に立つと高揚した感情を隠せない。夫と娘が自分を許容してくれるかどうかといった不安もあるけれど、最後には分かってくれるという家族への信頼感があればこそ不安に駆られる自分をさらけ出しているのだろう。
やがてトマシュがポーランドで生活していることが判明する。そのころには家族も事情を理解し、夫はハンナにポーランドへ行くよう勧める。
ポーランドのある町でハンナがバスから降りる。停留所にはトマシュが待っている。男と女はそれぞれの「記憶」を語りあうだろう。それはたがいの「あの日 あの時」の「愛」を含む「失われた時」の真実を知ることにほかならない。
アンナ・ジャスティス監督は、真摯に過去に向かいつつ緊迫感のあるエンターティンメントと甘味なラブストーリーを融合させた秀作を作り上げた。
個人的な関心ではアウシュビッツでの非ユダヤ政治犯の強制労働の実態やトマシュの母親をとおして描かれたポーランドにおける反ユダヤ主義が興味深かった。難をいえば第二次世界大戦下のポーランドの対ナチス抵抗組織とソ連との関係が知識不足もあって理解しにくい憾みがある。それと「失われた時」をめぐるハンナと夫とのやりとりはもっと丹念に描いたほうがよかったように思う。

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この五月二十九日新藤兼人監督が百歳で亡くなった。また今年は今井正監督の生誕百年にあたっている。戦争とそれがもたらしたものを生涯にわたり追求した映画作家としてわたしがすぐに思い浮かべるのはこのお二人だ。山本薩夫はどうなんだ、小林正樹はといわれると困ってしまうが、反射的に思うのはこの二人で、「生涯にわたり」という条件を外すとかつての日本映画界の監督のほとんどはこの主題を意識していたとして過言ではない。だから名作も多いし、バラエティにも富んでいる。
いっぽうここ何年かに限るとナチス統治下の辛酸と人びとのその後を描いた作品がとても充実している。たとえば「愛を読む人」「ブラックブック」「サラの鍵」「ミケランジェロの暗号」・・・・・・「あの日 あの時 愛の記憶」もそのなかに含めてよい。いずれも過去が提起する問題を真摯に受けとめた興味深い映画だ。それも若い監督が積極的に手がけている。これらに比肩しうる日本映画としては「一枚のハガキ」があるが、若い才能の動向にも注目してゆきたい。
とはいっても映画の原作としての文学の状況を見ると、ドイツやフランスに較べて衝撃のある新たな作品が供給されていないようだし、社会意識も戦争より震災や貧困への関心の比重が高くなっている。かつての綺羅星のごとき名作群があるのだからいまさら戦争にまつわる作品をと思ってもなかなかそうはできない事情も考えられる。わたし自身としては過去の提起する問題を受けとめる心性が摩耗しては話にならないので、そこのところは心しておきたいと思う。
(八月七日銀座テアトルシネマ)