「クレイジーホース☆パリ 夜の宝石たち」

ドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンが「BALLETアメリカン・シアターの世界」「パリ・オペラ座のすべて」につづいてとりあげたのは「クレイジーホース」。一九五一年アラン・ベルナルダンによって創立されたキャバレーで、こことムーラン・ルージュとリドがパリの三大ナイトショーということになっているらしい。
昨年パリでムーラン・ルージュのショーを観た。十九世紀末以来の伝統をもつ劇場でロートレックの作品の舞台としても知られる。一八0センチクラスのダンサーたちの群舞と、一瞬空中に飛び、左右の足を前後に開脚したままでステージに着地するフレンチ・カンカンが魅力だった。
「クレイジーホース☆パリ 夜の宝石たち」はこのムーラン・ルージュと肩を並べる劇場のショーとその製作過程を追ったドキュメンタリーだ。美の秘境を探究する得難い機会に心ときめきBunkamuraに出かけた。

きびしいオーディションを経て選ばれた素晴らしいプロポーションとテクニックを具えたダンサーたちの舞台は美しく、ファンタジックで、エロティック。
時さえ忘れてしまう幻想の世界と、その世界をつくりあげるためのリハーサル、メイクアップ、オーディション、運営会議などバックステージのシーンがつぎつぎと映し出される二時間十四分に冗長さはない。ショーの演出、構成についてのスタッフたちの議論はひたむきで、美しいヌードを見せるための選択肢はそれほど多彩なものではないのではないかと同情を覚えたりもした。
クレイジーホースのショーはバーレスクの色彩が濃い。比較するとムーラン・ルージュはレビューの印象が強い。そこのところは次に引く一九八一年にパリを訪れた野口冨士男旅行記からも窺える。
「パリでは、クレージイホースでストリップをみた。翌日ムーランルージュへ行ったが、二度目でもあったし、クレージイの後では物足らなかった。ムーランの踊子は網タイツをはいて、上半身にもシースルーの衣装をつけている。それを遠目には裸かのように見せようとしているのに対して、クレージイは局部に小さな布を当てているものの全裸でヘアものぞかせているのに、ライトの当て方で衣装をまとっているように思わせて、いささかのワイセツ感もない。そのライティングの巧みさには誇張でなく驚嘆にあたいするものがある。」(「三都めぐり」『断崖のはての空』所収)
クレイジーホースが喧伝するのは「世界最高のヌード・ショー」。演出家は、シックで女性客もエロティシズムに酔える舞台でなくてはいけないと語り、その方針のもとスタッフたちは振付、衣装、照明その他もろもろに秘術を尽くす。それを女性がどんなふうに観たかは興味のあるところだが、チラシには土屋アンナ夏木マリ辛酸なめ子、渡辺真紀子といった女性による推薦文が多く載せられていた。
いつもは記事を書くのに難渋しがちなわたしがめずらしくここまで一気に書いた。文芸評論家の河上徹太郎が誰でも口を出せる話題は美人論と料理屋論と言ったそうだけど、なるほどクレイジーホースの美女たちを話題にすると筆が進むわけだ。

(七月十三日Bunkamuraル・シネマ)