「生誕百年 快剣士 大友柳太朗」

若い友人で飲み仲間の婚礼の日。新婦とも顔見知りの仲だ。昼間の式は瀟洒な木造造りが魅力の根津教会。夜の披露宴は西日暮里の某スペイン料理店。フラメンコのギターと踊りのパフォーマンスとの兼ね合いだろう、挨拶は短くて心のこもったものというけっこうな宴だった。料理も酒もバイキング方式で、ビール、ワイン、ウィスキー、日本酒、焼酎等それぞれ複数の銘柄が置かれてあった。

三十代の後半だったか、酒が残りやすい体質だと気づいた。数値で確かめたわけではないけれど同僚の生態を観察して自身と比較するうちに確信となった。とくに日本酒がいけない。身体に適っていないのだろう。くわえてあの酒は献酬という盃のやりとりをすることが多いので余計にいけない。
とはいえ仕事での盃のやりとりは避けられず、このときは注意工夫を必要とした。
このあいだ銀座の「はち巻岡田」をモデルに関東大震災からの銀座復興を描いた水上滝太郎の小説「銀座復興」を読んだ。なかに、ある男が初対面の男に「ひとつどうです」と盃をさすと店の主人が「あ、そいつはよして下さい。うちじゃ盃のやりとりは厳禁だ」と止める場面がある。不満の客に「いけないんですよ。そいつが始まると、つい喧嘩になったり、お互いにうるさい事が起るから」とさらにたしなめる。
献酬を止められた客は銭を払って飲んでるのに、のみやに家憲があってたまるもんかと口にする。盃のやりとりを御法度とする小料理屋というのはめずらしい。客の言い分にも一理はあるけれど見識だと思う。ただしいま「はち巻岡田」が盃のやりとりをどう扱っているのかは知らない。ともあれ献酬に警戒するうちにだんだんと日本酒を口にする機会が少なくなった。だから酒類を選択できる宴はとてもありがたい。

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きょうは外出の予定はなく、部屋でニッポン・モダンタイムスのCD群のうちディック・ミネ「Enpire of Jazz」二枚組を聴いている。「ダイナ」「林檎の樹の下で」「上海リル」などヒット曲のならぶなかに「お洒落禁物」という異色作がある。戦前のジャズ、ポピュラーのヴォーカルを集成したニッポン・モダンタイムスのシリーズのなかでも最たるクセ球の楽曲だ。昭和十五年十月の録音、十二月の発売だからすでに「贅沢は敵だ」は巷にあふれかえっている。それを後押しする歌だけれど、聴けば標語を茶化し、皮肉り、からかっているとしか思えない。
「ぜいたくは敵だ」は太平洋戦争が始まってから叫ばれるようになったと思っていたが、調べてみるとすでに昭和十四年八月一日に精神総動員委員会がこのスローガンを発表していた。そうしたなか翌年にはディック・ミネをはじめミス・ワカナ藤原釜足たちが改名を指示された。
「新体制の世の中舶来品よさようなら/紅や白粉首飾り派手な衣装はモチロン/お洒落禁物お洒落は敵だ/ご婦人たちよお互い気をつけましょう」。
歌詞とメロディ、三根徳一すなわちディック・ミネの歌いっぷりともに「ぜいたくは敵だ」を思いっきり揶揄している。改名なんて関係ないぜといった心意気も伝わってくる。検閲に引っ掛かってもおかしくないがまだ余裕があったのかもしれない。

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新文芸坐で「集団奉行所破り」と「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」を観た。「生誕百年 快剣士 大友柳太朗」の特集上映の一日で、チャンバラ・ファンとして知られる林家木久扇師匠のトークショーもある充実ぶり。夕刻から夜にかけて映画を観る日の多い小生もきょうは朝から嬉々として池袋へと向かった。
「集団奉行所破り」は恩義ある廻船問屋の主人の命を奪い店を潰した奉行への復讐譚。十名足らずの元海賊たちのうち一芸に秀でた者はせいぜい大友柳太朗の浪人者くらいであとはふつうの者たち。この設定がいわゆるプロフェッショナル集団とはひと味ちがってよい。田中春男と桜町弘子の人情話にほろり。
もう一本の丹下左膳。左膳はどうして隻眼隻腕になったのか、林不忘の原作には書かれていないので映画は原作にとらわれず自由に描くことができる。つまりは腕の見せどころなのだ。
丹下左膳 乾雲坤竜の巻」は藩侍に狼藉強盗をはたらかせても乾雲坤竜の名刀を得ようとする藩主とそれに翻弄される藩士左膳という設定で、やがて左膳は身分絶対の侍社会からドロップアウトする。武士道批判という視点からの左膳誕生譚である。
木久扇師のトークショーはときに得意のものまねをまじえ、また大友がデビューした映画会社、新興キネマの雑誌をたずさえて語る愉しく、熱心なものだった。落語なら時間が計算できるのに映画の話になるとどれくらい時間が経ったのかわからないといって、もっとおしゃべりしたい様子だった。

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新文芸坐連チャンで「血文字屋敷」と「十兵衛暗殺剣」を観る。
期待は「十兵衛暗殺剣」だったけれど「血文字屋敷」がそれを上回るおもしろさで爽快感あふれまくった。徳川家公認の柳生流に対抗する大友を倒した近衛十四郎の十兵衛が大友に心を寄せる女に「時流に棹ささずまっとうな生業に就くのじゃ」と諭したりするんですね。そこでアウトロー志向としては、どうも・・・・・・ってなことになる。
いっぽうの「血文字屋敷」。横恋慕する小町娘の園絵(丘さとみ)が部下の神尾喬之助(大友)と夫婦になったのを恨んだ番士組頭戸部近江之介とその一統が、神尾に対してすさまじいいじめ排斥の所行に及ぶ。それを伝え聞いた大岡越前(大川橋蔵)の励ましもあったが神尾の怒りは心頭に達し城中で戸部を斬り、ついで十七人の番士への復讐のため姿を消した。
高校生のとき、題名は忘れたが、東映任侠映画で主人公がいたぶられるのを観ているうちに、隣にいた見知らぬおばさんが怒りの土佐弁で「もう、なんぼいうたち、やらんといかん」と口にした。念のため、標準語に直すと「いくらなんでも、もう斬り込みに行かなくては」との意味です。このおばさんのひとことは映画がはじまってさあ一時間ほど経ったときだったか。「血文字屋敷」のいたぶりようはひどく、あたしゃ十五分ほどで「もう、なんぼいうたち、やらんといかん」と心のなかで大友柳太朗に叫んでいた。

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新文芸坐「生誕百年 快剣士 大友柳太朗」掉尾を飾ったのは「鳳城の花嫁」と「丹下左膳」という痛快明朗二作品。
「鳳城の花嫁」は豪放磊落な丹下左膳の若殿版といった作品だ。お嫁さん探しに単身浪人に身をやつして江戸に出た若殿(大友)が二人の娘を助けた縁で商家に身を寄せることになる。そこの姉娘が長谷川裕見子、妹娘が中原ひとみ。若殿と姉娘が結ばれるよう心を砕くおしゃまでおちゃっぴいな中原ひとみがうれしく、出世作となった「姉妹」を彷彿とさせる。
丹下左膳」は御存じこけ猿の壺の争奪戦。
はじめて丹下左膳に扮した団徳麿、戦前その役で一世を風靡した大河内傳次郎、おなじく左膳役の経験があるという(未見)月形竜之介が出演。新旧の左膳役者が大友左膳を祝福しているようだ。くわえて江戸の司馬道場に婿入りする大名柳生家の次男坊源三郎に大川橋蔵、その嫁に美空ひばりが扮するというたいへんな豪華キャスト。もちろんひばりの歌が錦上花を添える。浮き浮きした気分で帰宅し、晩酌しながら美空ひばりのCDを聴きまくった。
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仲間うち五人で天王洲アイルにある銀河劇場でのワハハ本舗公演「ミラクル」へ行く。平日のマチネーだが満席の盛況で、さいわいわたしたちは五列目中央という願ってもない座席だった。

ワハハ観劇歴は五人のうち三人の女性陣がリピーターで、男二人は今回がはじめて。予備知識は仕入れずに観た第一印象は、イキのよいたのしく躍動感のある舞台で西洋ふうの寄席(ミュージックホール)を思わせるものだった。個別には看板の柴田理恵久本雅美に大いに笑わせてもらった。梅ちゃんこと梅垣義明も美声の歌とともに鼻から勢いよく豆を飛ばしておりました。女形に扮した佐藤正宏前座長の日舞も印象的だった。
ただ下ネタ偏重の感はある。ポリシーとしてやっているのはわかるが、笑いの領域を広げる挑戦も期待したい。
はじめての銀河劇場は舞台と客席の距離が近くとてもよい空間だった。舞台と客席との距離は最大でも二十メートル、馬蹄形三層構造、客席数746席との由。
観劇のあとは劇場近くの中華料理店で小宴。料理と酒と歓談のうちに天王洲の夜は更けて行った。