「ヒューゴの不思議な発明」

少年ヒューゴは機械人形といっしょに駅の時計塔に暮らしている。大好きだった父が遺した機械人形は壊れていて、それを修理し動かすにはハート型の鍵が必要だ。ある日、ヒューゴはその鍵を持つ少女イザベルと出会う。ところが少女の家へ行くと、思わぬ人物がいた。すこし前に雑貨店で万引きしたときの店主で、その老人は少女の名付け親であり、ともに生活しているあいだがらだった。
老人は少年の万引きへの怒りよりも別のことで剣呑な気分に陥っていた。かつて老人は機械人形を博物館に寄贈していた。過去を抹消したいとさえ考えている老人はその機会人形に関わりがあるらしい少年をどう扱ってよいやらわからない。くわえて彼の眼に、不思議大好き、器械の工夫や発明に夢中の孤児ヒューゴがかつての自身の姿に映っており、いささか近親憎悪の感情をもたらしているようでもある。老人の名はジョルジュ・メリエス。マジシャンから映画製作に転じいまは落魄の状態にある。
やがてヒューゴとイザベルの冒険が機械人形の秘密を明らかにし、そのことがメリエス復活のきっかけとなり、夫妻に新たな人生をもたらす。

この映画では劇中でサイレント作品のアンソロジーが綴られる。ヒューゴとイザベルが映画館や図書館で観ているのはチャップリンキートン、ロイド、ダグラス・フェアバンク、わがあこがれのモダンガール、断髪のルイズ・ブルックスもいる。メリエス老人はこれらサイレントのスターたちのもうひとつ手前、第一次世界大戦前にいろいろな工夫を重ねて映画を撮っていた人で、もちろんその代表作「月世界旅行」の名場面も映し出される。トリック撮影の現場が再現されるのもうれしい。
2D版と3D版があり、観たのは後者で、それは3Dから映画の古層を訪ねるというファンタジー気分あふれる素敵な時間だった。「8 1/2」や「アメリカの夜」「カイロの紫のバラ」など映画についての映画の名作に新たに「ヒューゴの不思議な発明」がくわわった。それも3Dというオマケを附けて。
3D体験は多くないけれど、これまで観たなかではもっともこの技術を有効に活かした映画だと感じた。3Dによるはじめての映画についての映画がこれでは、この先この種の映画を撮るとなるとたいへんだといらざる心配をしているほどだ。念のため2Dで見直して比較してみようか、それとも二度目の3Dにするかいま思案中。
マーティン・スコセッシ監督の作品は「タクシードライバー」以来だからつきあいは長いのだが、自分の不勉強を棚上げしていえば、正直なところわたしの感覚とは波長が半分ずれたような気分がありどこかピタッと来なかった。その典型が「ニューヨーク・ニューヨーク」で、またとないほどの素材を得ながら心躍る音楽劇にならなかったのが残念でらなかった。
不遜な言い方になるけれど「ディパーテッド」では半ズレ状態が解消していた。ここらあたりで予兆があったのだろう。映画讃歌「ヒューゴの不思議な発明」でこの人はとても大切な監督なんだと思った。
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《コマーシャル》
このほど拙著『永井荷風と部落問題』がリベルタ出版より刊行されました(1900円税別)。
御一読、御批評賜れば幸いに存じます。