おとなのけんか

ゴーストライター」のロマン・ポランスキー監督の新作は皮肉で知的なブラックユーモアで国際的に高い評価を得ているヤスミナ・レザの戯曲を原作とした「おとなのけんか」です。
いかにもこの監督が好みそうな素材で、週末のヨット遊びに向かう中年夫婦がヒッチハイクの若者を拾ってやり、そこからおだやかな中年夫婦の世界が異なる様相を帯びてくる若き日の「水の中のナイフ」に連想が及ぶ物語です。

ニューヨーク、ブルックリンのとある広場。カメラがロングに引いて十人ほどの子供をとらえています。なかの二人の子供のあいだで何かいさかいがあったらしく、一人が棒で殴ったようです。
場面は屋内に変わります。ザッカリー・カウワンがイーサン・ロングストリートの顔を棒で殴り、歯を二本折るなどのけがをさせたというのです。十一歳の子供同士の喧嘩とはいえそのままにしておけず、ロングストリート夫妻(ジョン・C・ライリージョディ・フォスター)がカウワン夫妻(クリストフ・ヴァルツケイト・ウィンスレット)を家に招いて話し合いをしています。
ロングストリート夫妻の夫は小売店の経営者、妻は書店に勤めながら著述活動をしています。いっぽうカウワン夫妻は弁護士の夫と投資部門ではたらく夫婦で、前者はリベラルな知識層、後者は有能な専門職のカップルです。
「カウワンくんが武装して危害をくわえたと書類に書けばよいかしら」
「棒一本で武装というのはあんまりじゃないでしょうか」
「それもそうね。じゃあ別の表現に改めましょう」
というふうに表面的には話し合いは冷静かつ友好的に行われています。でもこの「武装」云々のやりとりがつぎの展開を暗示しています。会話が交わされるたびに何かが引っかかるのです。おまけに弁護士は薬害被害の案件をかかえていてしょっちゅう携帯電話が鳴り、そのたびに対応していますので毎度話がプッツンになってしまいます。
それやこれやでだんだんとテンションが高まり、不協和音が響くようになります。
二組の夫婦の対立のみならず夫婦間でのくいちがいがあらわになって事態は複雑になってゆきます。
ロングストリート夫が「もうものわかりのよいリベラルなんてやっていられるか」と声を荒げると、カウワン妻は子供のことは任せっきりにして四六時ちゅう携帯電話でやりとりしてる夫に「もうやってられないわよ」という具合です。
互いにみずからをコントロールしながら平穏な家庭の運行に努めてきた二組の夫婦が子供のけんかをきっかけに、これまでの自制力が効かなくなり罵詈雑言の応酬となります。わたしは字幕に頼らざるをえないのですが、語学力のある方ならおもしろさは増すことでしょう。なにしろカウワン妻というよりここは女優の名前でいきましょう、ケイト・ウィンスレットジョディ・フォスターに「もっと住みよい世界をつくりたいですって?いつまでジェーン・フォンダのまねごとやってるの」なんて言うのですから。
ラストははじめとおなじく遠くでザッカリー・カウワンとイーサン・ロングストリートとおぼしい二人の子供がなかよく遊んでいます。
そしてここから新たなドラマがはじまります。こんどはスクリーンではなくて、それぞれの観客の心のなかで、子供たちは仲直りできたけれど、亀裂の入ったあの二組の夫婦はどうなるのかのドラマが。
もちろん内容は人によって異なります。あなたはどうかってお訊きになるのですか。
そうですね、わたしはなんとか郡の橋みたいな永遠の愛なんて大それたことよりも、亀裂が生じればその都度修復すればよいし、壊れれば作り直せばよいというふうに考える者ですから、二組の夫婦もきっと関係を再構築したと思いますよ。それに御亭主たちはともかく、知的でしっかりしたジョディ・フォスターケイト・ウィンスレットですから心配無用じゃないでしょうか。
おっと、またしても役柄じゃなく女優の名前を出す馬鹿をやってしまいました。
でもこの映画、なんとなくそんな気にさせるのです。
馬鹿につける薬はないというけれど、馬鹿はいつも健康で、薬は不要、それだけめでたいというわけで、わたしのようなおめでたい者からすると二組の夫婦、上手にやっているはずなんです。
(二月二十日TOHOシネマズシャンテ)

Twitterスローボート→http://twitter.com/nmh470530