「下女」

本ブログ昨年九月十日の記事で採り上げた「ハウスメイド」(原題「下女」)はおなじ韓国映画の「下女」のリメイクとされています。思いもよらずその「下女」が上映されていると聞いたものですからさっそく観てきました。
こちらは一九六0年公開のモノクロ作品。監督はキム・ギヨン。現代韓国映画の原点だとか戦後アジア映画の名作のひとつと評されている伝説的作品です。

夫婦と子供からなる裕福な家庭に若い女性がハウスメイドとして雇われて、お決まりのごとく夫とメイドが関係して、妊娠をめぐるトラブルが発生するという枠組みは新旧ほぼおなじなのですが、そこからの事態はずいぶんと異なっています。
「ハウスメイド」のウニは主家の妻とその母からカネで堕胎手術を迫られ、拒否するとつぎには暴力で流産に追い込まれそうになります。総じてメイドのほうが受身であり、主家の家族との人間関係も固定しています。
この映画の批評のなかには、暴力を介した関係に韓国社会の格差の縮図を見る向きがありました。人間関係に変化がないのはそうした事情があるのかもしれません。
いっぽう「下女」のメイドはウニとは反対に、仕える家族への攻撃も厭わず果敢に実行に移します。下女からしかける悪質な恫喝やいやがらせは堂に入ったもので、その結果、彼女と主家との関係はどちらが主人なのかわからないほどに変化を見せてゆきます。
「ハウスメイド」が固定化して流動性の乏しい韓国の格差社会を背景にしているとの議論を借りると、「下女」のほうは旧来の社会的関係の転覆をめざす階級闘争がまだ現実味を帯びていた時期における韓国の階級社会を基盤としているといってよいでしょう。
おなじく主人とメイドの不倫に発する恐怖を扱いながら、「下女」が不倫のもたらす人間関係の変化やそこから生じた恐怖を焦点化しているのに対し「ハウスメイド」にはそうした要素は稀薄です。そのぶんドラマを盛り上げるために採られた方策がホラー映画のおもむきを帯びるほどに衝撃の度合を高めることとセクシーな味を濃くすることでした。
双方ともにあ然とするほどおもしろかったのですが、以上に述べたようにあ然の中身はだいぶんちがっています。
「ハウスメイド」は「下女」の五十年ぶりのリメイクというよりも、「下女」に発想を借りた新たな物語と考えたほうがよいように思われました。
(一月二十一日シネマヴェーラ渋谷
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