ローマとパリで映画をおもう(其ノ二)


ヴァチカン美術館のキリスト教美術に圧倒されながら、つづいてサンピエトロ寺院と広場へ。
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参拝客にわたしのような物見遊山がくわわり、平日でもなかなかの人出なのですから、特別な日となるとたいへんで、二00五年四月二日ヨハネ・パウロ二世が亡くなったときの、弔意を表す人々で埋め尽くされた広場の光景を写真で見た覚えがあります。
歴史的には、頑丈豪華な建造物にたくさんの人々を集められるのは法王か国王かしかいなかったのですから、両者が相剋する関係にあったというのが実感されます。規模の違いはあっても、日本でも事情はおなじで、京都の東西の本願寺を見ても織田信長が寺社勢力を嫌ったというのはよくわかります。
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ローマの中央広場を通ってテルミニ駅へ。べつに地下鉄や列車に乗る必要はなかったのですが、映画ファンとしては「終着駅」のモンゴメリー・クリフトジェニファー・ジョーンズラブロマンスの現場に立ってみたくてそそくさと足を運びました。一九五三年製作の映画ですから、駅構内は様変わりしていますが駅が出会いと別れの場であるのは変わりなく、おのずとメロドラマに似合いの場所であるのは洋の東西を問いません。「愛染かつら」では田中絹代上原謙を追って東京駅へ駆けつけていましたし、「哀愁」「逢びき」「旅情」いずれも駅が大きな役割を果たしています。なかでも「終着駅」はヴィットリオ・デ・シーカ監督がほぼ全編テルミニ駅を舞台に撮影しています。ホテルでペギー・リーの歌う主題歌「オータム・イン・ローマ」をiPodで聴いて、床に就きました。
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オプショナル・ツアーでナポリポンペイへ。ナポリは輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージにぴったりの都市。小さい頃「ナポリ、夢の街」という詞ではじまるカンツォーネが流行していたのをおぼえています。ガイドさんはイタリアを代表する女優のソフィア・ローレンは幼少時をここで過ごしたと話していました。六十歳前後の退職もしくはまぢかの組と大学生の卒業旅行組の多いツアーでしたが、若い人たちソフィア・ローレンって知っていたのかなあ。
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ポンペイは79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれた都市。18世紀に発掘が開始され、主要な部分が一般公開されているイタリアの世界遺産。上の写真、右の絵は娼館の壁に描かれています。ガイド女史曰く、世界最古の職業を表現したものです、と。
わたしがはじめてポンペイを知ったのは「ポンペイ最後の日」という映画の題名からでした。観ていないのですが、題名の強烈さが頭にこびりついています。双葉十三郎さんの『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』によるとリットン卿原作の「ポンペイ最後の日」は映画草創期より何度も映画化されているそうです。双葉さんの本で採り上げられているのは1926年版、1935年版、1960年版の三本。1960年版について双葉さんは「往年の超大作もついにB級へと転落、紙芝居的な印象しか残らない」「ポンペイ映画もこれが最後の日かも」と書いていますが、このB級転落作品も、そのころ小学生だったわたしには題名だけで強烈な印象を残しており、その半世紀のちにポンペイへ行かなくちゃという気にさせたのでした。
この日のオプショナル・ツアーにはカプリ島の青の洞窟もあり、すこし迷いはしましたが、やはり少年の日の思い出のほうが強かった。