刺青断章(其ノ一)

いまニュージーランドで開催されている第七回ラグビー・ワールドカップ(RWC)の放送を見ていると、二の腕や足に刺青を入れた選手がプレーしているのが映る。
確認できたところで南半球ではニュージーランド、オーストラリア、サモア、トンガ、北半球ではイングランド、フランスの代表選手たち。ポリネシアでは古来の風習としての刺青がいまなお尊重されているようだから当然南半球の選手に多い。

ラグビー長距離走(マラソン、駅伝)以外の競技はほとんど見ないので他の競技の事情にうとく、断言はできないけれど、サッカーや野球でも刺青を入れたプロの選手たちはいるはずで、ただしオセアニア出身者の多いラグビー選手ほどは目立たないのだろう。RWCに出場している選手の多くはふだんはプロ選手としてクラブチームに所属している。したがって刺青を入れた選手は南半球、北半球を問わずいろいろな国でプレーしていて、日本も例外ではない。
はじめてRWCが開催されたのは一九八七年だった。このときも熱心にテレビ放映につきあったが刺青を彫った選手の記憶はない。当時は長袖ジャージがふつうで、隠れて見えなかったのだろうか。それにまだアマチュア・スポーツの時代だったから心理的な規制が強かったのかもしれない。
その後、プロ化したラグビーの試合が日本でも放送されるようになり、ニュージーランド、オーストラリア、イングランド、フランス等からの映像を通じて刺青の選手を見るようになった。どこかの国で問題化したとか、RWCの主催団体であるIRB(国際ラグビー評議会)が刺青についてのコメントを出したとかは聞かないから、どうってことはないのだろう。しかし日本の大学チームや社会人チームに所属する日本人選手が墨を入れてプレーしたらどうなるのかな。
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刺青のイメージは国や民族また時代によって異なる。
一九一0年(明治四十三年)に発表された谷崎潤一郎の処女作「刺青」には〈馬道を通ふお客は、見事な刺青のある駕籠舁を選んで乗つた。吉原、辰巳の女も美しい刺青の男に惚れた。博徒、鳶の者はもとより、町人から稀には侍なども入墨をした〉とある。
「刺青」は〈其れはまだ人々が「愚」と云ふ尊い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分〉の江戸末期に、輝く美女の肌に魅了されて刺青をほどこす清吉という刺青師の話だから史実と受け取ってはいけないが、とはいえこの国でもかつては刺青への寛容度はいまよりだいぶん高かったはずだ。
現在の、煙草もおちおち吸えない世の中で刺青など論外であろう。法律で禁止されているものではないから一部若者のあいだではタトゥーというモダンな名称になって流行しているそうだが、それでも暴力団排除の一環として入湯を拒否する銭湯や温泉に見られるように日本人の刺青に対するまなざしは厳しい。
いっぽう世界のラグビー界では(おそらく他の競技団体でも)刺青は問題とされていない。刺青の記号性の背後には歴史や社会のあり方、美的感覚などのちがいがある。ちがいを認めて、それぞれの固有文化を尊重しようという国際社会の趨勢のもとでは、わが国だけが刺青を彫った選手はプレーさせないというわけにはゆかない。
しかしながら、仮に、刺青の外国人選手が日本のチームメイトと温泉に行き、そこに刺青の方の入湯お断りの張り紙があったとして、温泉側はどのような対応をするのだろう。固有文化尊重の立場で入湯を認めるのか、それとも決めごとを原理として絶対に認めないのか。入湯不許可は国際問題になりかねないし、認めたとすれば、ダブルスタンダードになるから、それを知った刺青の方がやって来た際には立ち往生してしまう。文化相対主義の泣き所というべきか。
刺青についての文化相対主義の延長線上には、個人における相対主義がある。すなわちあんなものは個人の嗜好に任せて、あれこれやかましいことをいわなくてもよいとする考え方で、ラグビーの選手でいえば、刺青を理由にプレーできないことはないにしても、プレーする国の社会通念によっては不利益とまではゆかなくとも厳しい視線を浴びるばあいもある、彫るも彫らぬも自由となればせいぜいそんなところに落ち着くわけだ。
とはいえわたしが彫物をしたラグビー選手についてこんな記事を書いているのは違和感が否めないからで、そうした個人的な感情よりも早く国際慣行に親しむのがよいのだろうが、いまのところはどうも釈然としないねえ。