ゴーストライター

篠突く雨のなかフェリーが着港して、搭乗していた車がつぎつぎと下船する。なかに一台最後まで下りない車があった。つぎのシーンでは暗鬱な空、荒涼の海が映し出され、海岸に男の死体が打ち上げられている。
ロマン・ポランスキー監督「ゴーストライター」は冒頭から、サスペンスフルな予感でワクワクしてしまう。
死体はアダム・ラング(ピアース・ブロスナン)が英国首相だったときの補佐官で、元首相の自伝執筆を任されていたマイク・マカラだった。フェリーからの転落死と片付けられたマカラのあとを引き継ぎ、自伝を完成させるよう出版社から依頼を受けたゴーストライターユアン・マクレガー)が、ロンドンからラングの滞在するアメリ東海岸の孤島に赴く。
折しも、元首相が周囲の反対を押し切って参戦したテロ壊滅を名分とする戦争で、イギリス軍管轄下にある四名の捕虜のCIAへの引き渡しを決済し、拷問を黙過した疑惑が報じられ、ラングの周辺はにわかにあわただしくなる。
事務所内ではラングの妻ルス(オリヴィア・ウィリアムス)と女性秘書アメリア(キム・キャトラル)の反目が冷たい空気を生じさせていた。
こうしたなか名無しのライター、ゴーストは原稿を書き進めるうちにラングの入党年次の疑惑に直面する。公式には一九七七年入党と報じられているが、前任者マカラが持っていた入党書類では一九七五年になっていたのだ。それにマカラの死も謎につつまれていた。ゴーストはマカラの取材の跡をたどりながら、知らず知らずのうちに「知りすぎた男」となってゆく。


以下は印象に残ったいくつかのことがら。
超絶のヒーローは存在せず、派手なアクションもない、政治と謀略の生臭さを嗅いでしまったゴーストが翻弄されるドラマである。冒頭の殺風景ともいえる荒涼とした鈍色の風景、その色調が全編を覆う。
ところがその不穏な重苦しさのなかにかすかなユーモアや軽みが含まれており、ロマン・ポランスキー監督の熟達の技を感じさせる。たとえばゴーストが引き継いだ原稿を一読したときの失望の表情。ゴーストがアメリアに「元首相から相棒って呼ばれたよ」というと、「名前を覚えられていないからよ」と返ってくるやりとり。テレビのラングを見て、妻が、ここで笑ってしまうと台無しよと口にした途端、夫のにやけ顔が写る。サスペンスとユーモアとが巧まざる感じでブレンドされている。
それとヒッチコックを連想させるカーナビゲーション・システムやメモ用紙といった小物の活用が鮮やかで、見事なお手並みだった。
もうひとつ、「仁義なき戦い」がそうだったように短いメロディをリフレインさせて不安感を煽るアレクサンドラ・デスプラの音楽も出色だ。
若き日の「水のなかのナイフ」や「反撥」以来ロマン・ポランスキーは不安な雰囲気を映像化するのに長けていた。くわえて「チャイナタウン」ではハードボイルドの定石を踏まえ、情報の細片を追い、組み合わせながらドラマを盛り上げるストーリーテリングに冴えを見せた。それらを引き継ぎ、さらに精度を高めた作品「ゴーストライター」、この監督の真骨頂に唸らされた一編だった。(九月七日ヒューマントラストシネマ有楽町)