東京藝術大学修士リサイタル

おさそいがあり、七月十二日宵の刻、東京藝術大学音楽学部で行われた邦楽囃子、日本舞踊専攻修士二年の安倍真結さん、西国領君嘉さんの修士リサイタルへ行ってきました。藝大は美術学部にある美術館に行ったことはありますが音楽学部ははじめて、しかも邦楽、日舞は何回かの歌舞伎座体験以外にはほとんど御縁のなかった世界です。



音楽学部キャンパスでいえば、ここにいるのは洋楽、邦楽、舞踊などの世界で難関の入試を突破した若者たち。それだけで尊敬とあこがれを覚えてしまいます。たいへんな才能を持つ学生集団を擁する大学なんですね。

リサイタルの会場は第六ホール。いかにも藝術大学にふさわしい設備です。このようなホール、学部全体でいくつあるのだろう。



      

大学生のとき、当時新左翼学生運動の守護神的存在だった歴史家の羽仁五郎先生の講演会が学内で開かれ、聴きに行ってみました。話の内容は記憶にありませんが、二つの場面が印象に残っています。
先生は、開口一番、四五百名は収容できる大教室を眺められ、こんな工場みたいな教室で教育ができるんですか、とおっしゃられた。それと、結婚するなら息子で映画監督の羽仁進と結ばれた女優の左幸子のような女を嫁にせよと口にされた。もっとも御夫妻はのちに離婚されたのですが。
それはともかく、羽仁五郎がわが大学を工場みたいな大学と喝破されたのと対照的に、藝大はわたしの藝術コンプレックスを差し引いても、工場教室とはずいぶんとちがう香気で、それゆえに羽仁五郎先生の講演会が思い出されたりもしたのでした。

       
さて当日のプログラムは清元北州、「音で描いた美しい吉原の絵巻物」といわれ、清元の御祝儀曲として代表的な名曲だそうです。立方は西国領さん、安倍さんは陰囃子の小鼓、大鼓。この曲の作詞は江戸の文人のなかでも才覚無類の太田蜀山人。なんだかそれだけでうれしくなってしまいます。



つづいて邦楽囃子猩々意想曲。昭和三十年代につくられた曲で、初演は武原はんによる地唄舞をくわえて上演されたそうですが、今回は素囃子という囃子のみのパフォーマンスです。笛、小鼓、大鼓、太鼓の編成で、安倍さんは小鼓。素囃子というのはわたしにははじめてで、たいへんめずらしく、ありがたい経験でした。

小鼓、大鼓の音色の違いがヴァラエティに富んだ表現を可能にしていて、これに太鼓がからみ、このゆたかなリズムセクションをベースに笛がメロディを奏でます。想像上の動物で、たいへんお酒の好きな猩々が躍動していました。



最後は長唄娘道成寺。立方は西国領さん、安倍さんは小鼓。清元と長唄の見分けもつかない無粋な野町にも歌と三味線と囃子があいまって華麗と品格が感じられる道成寺でした。


       
安倍さんの鼓は今回がはじめて。西国領さんは昨年、根津にある素敵な居酒屋すみれの四十周年のお祝いの席で拝見して以来二度目です。このときは、ワハハ本舗佐藤正宏さんとペアで踊っておられました。ちなみに佐藤さんは橘流の名取、橘佐藤が名取名です。このときはお祝いの席らしく明るくコミカルな舞いでした。いっぽう今回は吉原遊郭の四季や女心のさまざまな相が表現されていて、芸域の広さ、深さに感心しきりでした。
聞くところによると、藝大の邦楽関係の歴史はまだ浅く、人材育成の歳月もそれほど経っていないとか。そういえば日本画家の鏑木清方が帝国藝術院、つまりこんにちの日本藝術院の第三部の音楽分野では邦楽もジャンルとしては銘記されながら戦時中にあってもなお洋楽のメンバーだけで邦楽関係の人はいなかったと書いていました。
つまり明治このかた大学も藝術院も西洋の文物制度の導入にせわしく、邦楽の尊重と人材育成は等閑に付されてきた。しかし、今回の修士リサイタルに見られるように、この問題は次第に改善されてきているようです。お二人の御活躍と今後、後進育成の指導的立場に就かれて力を発揮されますよう願ってやみません。





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修士リサイタルのおめでたい舞踊、囃子を承けて、お引っ越し「スローボートからのつぶやき」を正式にスタートさせました。筆者もせめて清元と長唄の区別くらいはつけられるようになりたいもので、そのためにもせっせとブログの記事など書いて知見を広めなければいけないと思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。気に入らなくても「お気に入り」へよろしく。