ビギン・ザ・ビギン

昨年、京橋のフィルムセンター小ホールで「踊るニュウ・ヨーク」(一九四0年、ノーマン・タウログ監督、原題Broadway Melody of 1940)を観たときはエンド・マークと同時に狭い劇場が拍手に包まれ、わたしもうれしくなって拍手、拍手でした。
フィナーレのフレッド・アステア、エリノア・パウエルの「ビギン・ザ・ビギン」を観るとこうなるのは当たり前で、ずいぶんと昔、ミュージカル映画の名場面を集成したアンソロジー作品「ザッツ・エンターティンメント」ではじめてこのナンバーに接したときは感激そしてため息が洩れた。毎度、夢の世界に招待されているような気分になり、これぞ至福の時間だなと思う。

ところが双葉十三郎さんの『ぼくの採点表』では意外にもエリノアの評価が辛い。だいぶトウがたってきたうえ、アステアとの踊りもジンジャー・ロジャースと比較してツヤと甘さを欠き、呼吸もいまひと息という。
たしかにツヤと甘さはそうかもしれないけれど、軽快さ、躍動感となると評価は違ってくるのではないかなあ。
くわえて「キネマ旬報」(一九七五年二月下旬号)の「ザッツ・エンターティンメント」をめぐる座談会でも、淀川長治さんが、かつてのエリノア・パウエルのタップはいいなあと思うが「アステアと組んで踊って、負けないでタップするでしょう。そうすると、身体が浮いてくるのね、もう」とおっしゃっている。
オールドファンの評価はずいぶんと厳しい。ならばトウのたたない頃のエリノアはどれほど凄かったのだろう。

ボブ・トーマス、武市好古訳『アステア』に「ビギン・ザ・ビギン」のステップが生み出されたときのエリノア・パウエルの回想談が載っている。


エリノアは、スタジオの舞台の両端にわかれて、それぞれで「ビギン・ザ・ビギン」の八小節にあわせて即興の踊りをしてみましょう、そのうえで気に入ったものを見つけたり、聞き取ったところでストップして検討してみましょう、と提案した。
ボブ・トーマスは、別々に踊り、それから二人のステップを組み合わせて、かれらは驚くほど効果的なカウンター・リズムを作り出した、と書いている。
キネマ旬報」の座談会で司会の白井佳夫さんが、「ザッツ・エンターティンメント」で非情ではあるがと断り、特にこのナンバーだけは外せないその一つを求めたところ、淀川さんが「雨に唄えば」のジーン・ケリーの雨の中の踊り、野口久光さんが「恋愛準決勝戦」のフレッド・アステアの帽子掛けのダンス、双葉十三郎さんが「ブロードウェイのバークレー夫妻」のフレッド・アステアジンジャー・ロジャースの踊り、小林信彦さんが「サマーストック」でジュディ・ガーランドがタイツ姿で歌う「ゲット・ハッピー」を挙げた。

この人たちの驥尾に付すのはすごく畏れ多く、おこがましいけれど、わたしならどうするか。アステアとシド・チャリシーの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」それとも「ビギン・ザ・ビギン」。
書いているうちにえらく悩ましい話題に踏み込んでしまったが、ここは行きがかりだ、えいっ、やっとばかりに「ビギン・ザ・ビギン」を推そう。