十年前のノートから東日本大震災の現在へ


このほど定年退職を迎えたのを機に、勤務先のウエブサイトに六年あまりにわたり月一篇掲載していたコラムに、他で発表した数篇をくわえて『スローボートからのつぶやき』と題した私家版を編んだ。お世話になった方々に配布する退職の引出物である。

本書の書名はこのブログから来ているとあとがきに書いた。そのためハンドルネームを用いる必要も意味もなくなった。それに、出来具合はともかくはじめて刊行した単著だから、書名とブログ名をおなじものにしたいと考えるようになった。そこでブログの名前も「スローボートからのつぶやき」とした。リニューアルというほど大げさなものではないのですが、あらためましてよろしくお願い申し上げます。
私家版はおよそ十年ほどのあいだに公表した文章のなかから選択編集した。五十歳の頃どのようなことをおもっていたのか、手書きのノートを開いてみると〈梓弓いそじの春をむかふれど矢たけ心はたゆまざりけり〉という和歌が抜き書きしてあった。江戸時代後期を代表する随筆で、平戸藩九代目藩主松浦静山による『甲子夜話』巻五十三にある蕉叟の楽老侯の作、〈五十になりぬる年の試筆に〉の前書きを添えてある。           
いそじ、五十歳の春を迎えたけれど、梓の木でつくった弓の弦がたゆんでいないように、わが心もピンと張りつめていると言って、自身の決意表明としているのだが、見ようによっては遅緩してゆくみずからの精神を奮い立たせようとする気味がないでもない。


もうひとつおなじ作者の〈色と香に遊ぶ心の心もて君につかへよ世の中の人〉との一首も記してある。

いそじを迎えてそれなりに判断力が具わったと見えても色と香は別物だとして色香にうつつをぬかすエネルギーを御奉公にふり向けよといましめている。
二首ともにお説教くさくておもしろくもないのに、それでも書きとめたのは五十という筆者の年齢のしからしむところだったのだろう。

根津神社









自分で言うのだからあてにはならぬが、この十年はまじめにお堅く過ごしたのではないかな。そのかん心と身体はだいぶんたゆんでしまった。色と欲には恬淡としていたと言うつもりはないものの、迷うほどではなかった。だからといって立派に御奉公したわけではないけれど。
いつだったか経済評論家の森永卓郎氏が、若者と一部芸能人の独占を排して、恋愛市場をよりオープンなものに構造改革しよう、一夫一婦制の規制を緩和して生涯恋愛社会を構築しようと唱道されていた。この主張、生涯学習社会とかで一生あれこれ勉強させられるよりはるかに共感しているものの、恋愛マーケットの市場原理のきびしさを考え合わせると参入にはためらいを覚えてしまう。その代償がまじめにお堅く、ついでに貧乏したというわけだ。
エネルギーの残量はほぼ察しがついており、振り返ってもこれから先を見ても喪失感の霧は深い。老いゆく身の老いの速さをいささかでもとどめようなどと無茶なことは言わない。それくらいの分別はある。いたずらに馬齢と悔いを重ねながら、まがりなりに世の中のことはすこしは学んだ。とはいえ、深層のところではもうひと花、といった気だってなくはない、たとえ失楽園に堕ちようとも。梓弓の弦だって、まだピンピンだぜ、ほんとはね。されどその一瞬あとには退職金と年金は守らなくてはと、失楽園とくらべるとえらくせこいことを考えている。
〈隠居とは能くもなりしやはるのたび  以風 
 気ままにあそぶはなのみちくさ    瀾閣〉
おなじく十年前のノートにある歌仙の一節だ。いまただちに隠居というわけにはまいらないが、はなのみちくさでの気ままなあそびを愉しみたいものだ。
以上、退職に際しての雑感であります。












本や映画の海を周遊したいとのこのブログのコンセプトからすればほんとうはここで止しておきたいところだけれど、三月十一日を境とする現下の事態に触れないわけにはゆかない。そう考えなければならないほどに世界は変わった。

愛読するブログ「Tokyo Notebook」の Kinakinw さんは三月十八日の記事で〈避難所にいる皆様、救援活動をしている皆様、東電の現場の皆様、自衛隊・消防・警察、福島原発で作業につかれている全ての皆様に私の元気玉をいっぱい送ります!〉とエールを送っている。遅ればせながら還暦のオヤジも元気玉をいっぱい送ります。その上で、力ある者は力を、カネある者はカネを、知恵ある者は知恵を、技術ある者は技術を・・・・・・それぞれの特性や環境に応じて出来ることをやってゆこう!

一九三六年に公開されたミュージカル映画「有頂天時代」(原題「Swing Time」)で歌われた曲に「Pick Yourself Up」(作詞ドロシー・フィールズ・作曲ジェローム・カーン)がある。

ダンス教室の教師ペニー(ジンジャー・ロジャース)にラッキー(フレッド・アステア)が一目惚れして彼女に入門する。ラッキーはほんとうはプロのダンサーなのでそれを隠しておきたい。そこでレッスンがはじまるとわざと転んだりしりもちをついたりする。嘆くふりをするラッキーをそうとは知らないペニーが励ますところでこの曲が流れる。そういえばオバマ大統領も就任演説でこの「Pick Yourself Up」の歌詞の一節を用いていた。

〈Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.〉

〈今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国再生の仕事に着手しなければならない。〉

典拠となった歌詞の該当箇所はつぎのとおり。

〈Nothing's impossible I have found / For when my chin is on the ground /
 I pick myself up / Dust myself off / and start all over again.〉

「有頂天時代」が公開された一九三六年という年は日本では二・二六事件が起こり、世界は大恐慌により苦しみあえいでいた。そんなとき、スクリーンでフレッド・アステアジンジャー・ロジャースに鼓舞され、さあ立ち上がるぞと意を決するきっかけになったのがこの曲だった。

〈倒れた時は先へは進めない 立ち上がりほこりを払い初めから 自信を無くさず希望を持って 立ち上がりほこりを払い初めから〉
〈勇者たちにも失敗はあった 深呼吸して立ち上がりほこりを払って初めから〉とつづく。
政治のいちばん重要な業務は社会の基本となる枠組みをつくることだとおもう。その社会の基本のかたちは東日本大震災により大きな被害をこうむった。そのために政治が的確な対策を打たなければならないのはもちろんだが、まず何よりも被災者、さらにはこの国土で生活するすべての人々を励まし、勇気づける言葉があってしかるべきではないのか。
はたして与野党を問わずリーダーたちはそうした言葉を国民の心に届けているだろうか。国民の側はそんなことはとっくに断念しているとは考えたくない。わたしは政治家の発言を博捜していると言うつもりはないので、あれば教えていただきたい。
問題は数合わせや会期の日取り等の国会対策偏重のもと、議会で政策をめぐって真摯な言葉のやりとりがどれほどなされているか、すなわちわが国の議会制民主主義の質に係わっている。日常的にひたむきな討議討論がなされていないところで、急場になったからといってすぐに国民を励まし勇気づける言葉など出てくるはずもない。