瞬間日記抄(其ノ八)

マノリオ・ド・オリヴィエラ監督「夜顔」(2007年)をDVDで。パリを舞台とする男と女の綺譚。そのパリの風景が美しく、切なく、いとおしい。冒頭の、クラシックのコンサート会場から出てきたミシェル・ピコリが濡れた舗道をあるいて行くシーンではやくも、ああ素敵な映画に出会えたなという気持になる。









夫を愛しながらも、鞭打たれ、召使に犯される白昼夢を見るセヴリーヌ。午後だけ娼館の女となるセヴリーヌという「昼顔」に夫の友人が客として現れる。四十年後、パリでのふたりの邂逅。「夜顔」はルイス・ブニュエル監督「昼顔」へのオマージュにして続編。「悪徳の歓びは秘密であればあるほど大きい」。

ルイス・ブニュエルは1900年生まれで「昼顔」は1967年の作品だ。あとに「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「欲望のあいまいな対象」などがつづく。マノリオ・ド・オリヴィエラ監督は「夜顔」を九十八歳で撮った。高齢にしてなお旺盛な創作意欲と「悪徳の歓び」!

「芸術の制作慾は肉慾と同じきものゝ如し。肉慾老年に及びて薄弱となるに従ひ芸術の慾もまたさめ行くは当然の事ならむ」。永井荷風、五十八歳、昭和十一年二月二十四日の日記にこう書きながら頻繁に玉の井を訪れ「濹東綺譚」「腹案漸く成る」と書いたのは同年九月二十日だった。ここにも「悪徳の歓び」が。


熟年のイギリス人夫婦が旅先の秘密の場所で観たいかがわしいフィルムに独身だった頃の夫が映っている。三十年前、好きだった娼婦を助けるため一度だけ無償で相手役を務めたのだった。「夜顔」の男女の出会いから連想したグレアム・グリーン「ブルーフィルム」を休日の午後のスターバックスで読んでいる。

スティーブ・マックィーン生誕八十年没後三十年を記念してNHKが放映した「大脱走」を四十数年ぶりに観た。颯爽としたかれのバイク姿とは反対にずいぶんとほろ苦い結末で、わが記憶力を嘆かねばならなかった。映画も本もこれまでの道を辿り直すのをもっぱらにすべきではとのおもいが頭をよぎった。


アンストッパブル」はゲイジュツ関係おまへんの大娯楽作品だ。暴走する無人列車をどうやって止めるのかと来ればスピルバーグの「激突!」が連想される。奇妙な恐怖感はあちらにかなわないけれど、列車独特の重量感がビシバシと身体に響き、ハラハラドキドキが体感できる。人情話の絡ませ方も上手だ。









「羽織の大将」(1960年)は大学の落語研究会出身で桂文楽の弟子の桂五楽(加藤大介)の内弟子になった十文字忠夫(フランキー堺)の山あり谷ありの噺家人生をコミカルに描いた秀作。昭和四十三年に閉じた伝説の寄席、人形町末広が見られるのが、桂文楽安藤鶴夫が実名で出演しているのが嬉しくまた貴重。








晩年のルノアールはひどいリューマチで、絵具筆を手にくくりつけて描いていた。夫人がこんな手で可哀想にと言うと、バカ!絵は手じゃなくて目で描くんだと怒鳴った。梅原龍三郎が最後にルノアール邸を訪ねたときのことで、高峰秀子が『私の渡世日記』に書いている。

高峰秀子は上のルノワールの挿話につづけて、梅原龍三郎は目ではなく愛情で描いたと書く。ルノアールと梅原の話を併せて、絵画への愛情が目を育てるというのを結論とした。モーション・ピクチュアつまり動く絵を鑑賞する者にとっても心しておきたい所説だとおもう。