謹賀新年〜瞬間日記抄(其ノ三)

あけましておめでとうございます。
初春の願いを込めて「もしも月給が上がったら」からスタートします。

「もしも月給が上がったら」という歌謡曲の一節に「もしも月給が上がったら/ポータブルなども買いましょう/二人でタンゴも踊れるね」とある。作詞は山野三郎(サトウハチロー)。流行したのは昭和十二年(一九三七年)のことで、昭和モダニズムの音楽シーンにおけるタンゴの勢いを感じさせる。

戦前の和製タンゴでは「並木の雨」「雨に咲く花」「マロニエの木陰」をよく聴く。なかで関種子の「雨に咲く花」は太平洋戦争中のロサンゼルス在住の日系米人の苦難を描いたアラン・パーカー監督「愛と哀しみの旅路」で繰り返し用いられていた。日系米人のあいだで好まれ、よく歌われていたようだ。

「もしも月給が上がったら」が流行した年のドイツ映画に「夜のタンゴ」がある。主題歌はヒロインを演じたポーラ・ネグリが歌い大ヒットした。時代の雰囲気を感じさせる名唱だが、映画についてはよくわからない。なにしろあの双葉十三郎『ぼくの採点表』にも記載がない。だからよけい気にかかる。

昭和三年から十一年にかけての東京滞在記『東京に暮らす』の著者でイギリスの外交官夫人、キャサリン・サンソムは日本人の踊るタンゴは甘ったるく本場中南米のものと違ってタンゴ特有の色気も微かな興奮も見られないと言うのだが、真逆の昇給で買ったポータブルで練習したタンゴだもの、その事情も御斟酌あれ。

昭和十五年十月末で以て都内のダンスホールは閉鎖された。その直後、京華中学校の最上級生だった安田武が、本郷の青木堂という酒場で、フロリダのダンサーだった女性が「夜のタンゴ」のかかる蓄音機の上に肩肘をつきリズムにあわせて小さく首を振っていた情景を書きとめている。(『昭和・東京・私史』)

(承前)外はどしゃ降りの雨。足元には洋傘から滴る雨水が地図のような流れを見せていて、彼女はほとんど無意識に、ハイヒールの爪先で擦るように、その雨水の地図を拡げていた。きれいな脚だった。激しい雨音と「夜のタンゴ」と美しいダンサーとビールの軽い酔いが安田武の官能を揺さぶっていた。

閉鎖されたフロリダ・ダンスホールにいた素敵なモダンガールのダンサーが、青木堂の蓄音機から流れる「夜のタンゴ」にあわせて踏んだステップは花咲き花散った「東京ラプソディー」の時代、昭和戦前のモダニズムの終焉を象徴しているかのようだ。活字の伝える脚線美に惹かれながらそうおもう。

小津安二郎が愛した音楽」という二枚組CDがある。鎌倉文学館に遺された小津のSPレコードを中心に復刻編集されたものだ。全47トラックのなかに「コパカバナ」「バンドネオン・アラバレロ(場末のバンドネオン)」の二曲のアルゼンチンタンゴを収めている。いずれも味わい深く、わが愛聴のタンゴだ。

このCDで比較的多いのがシャンソンとフォスターの楽曲だ。映画のなかではおなじみの「サセレシア」があり、これの原曲である「サ・セ・パリ」と「ヴァレンシア」は当然収められている。小津の映画の中でタンゴが用いられているシーンは思い浮かばない。たぶん使っていないのではないか。

成瀬巳喜男監督の「驟雨」にはタンゴが流れる場面がある。夫の佐野周二と妻の原節子日本橋白木屋の屋上で待ち合わせたあと入った甘いもの屋で(原節子はあんみつを食べる)服部良一作曲のタンゴ「黒いパイプ」が流れている。成瀬巳喜男はこの曲が好きだったのではとひそかにおもっている。