瞬間日記抄(其ノ二)

神保町の古書会館で書窓展を覗いたあと、秩父宮ラグビー場へと急いだ。きょう十二月十一日の東芝vs神鋼サントリーvs三洋の二試合はトップリーグ屈指の好カードだ。観戦後、引っ返して神保町シアターで「淑女は何を忘れたか」を観て、東京堂書店経由で夜の本郷通りを根津へあるき、なじみのお店で一献傾けた。

本とラグビー、映画に散歩に好きなお店の酒肴とくれば、無神論者のわたしでも神に感謝したくなる。けれど一瞬のちには、これらにもうひとつのこと(それはヒ・ミ・ツ)をくわえるとわが人生の愉しみほぼ尽きてしまう、ああ、なんたるチープさかと神をも懼れぬ気持を抱いているのだった。

銀杏の黄葉がライトに映えている夜の本郷通り。さきほど秩父宮ラグビー場からの帰りに通った明治神宮外苑の銀杏並木のほとんどは葉を落としていたのに。おなじ東京の銀杏でも生息するところによりずいぶんと状態は違っていて、ここだけ見ると青山は十二月で、本郷はまだ十一月なのだった。

洲崎遊廓は明治の中頃に根津の遊廓が引っ越して出来た。本ブログの洲崎パラダイスの記事を読んだ下さった、根津に長くお住まいの方が、質屋でお金つくって、銭湯でひと風呂浴びて、廓に向かう、だから根津は質屋と銭湯の多い町、と言っていた。史実か巷説か、どちらにせよ歴史の襞に触れた気持だ。

十二月十二日、早稲田大学の演劇博物館でやっている時代劇映画史展を見に行く。今回は無声映画の時代。次回はトーキーの時代の資料が展示される。展示資料のひとつに「新撰人気スター写真番付」があったので横綱大関を書きとめてきた。年代は明示されていなかったが昭和三、四年あたりのものだろう。

「新撰人気スター写真番付」の東かたは横綱が栗島すみ子と阪東妻三郎大関が夏川静江と阿部五郎。西かたは横綱伏見直江大河内伝次郎大関田中絹代と鈴木伝明。西の横綱の列びに、二人が共演した伊藤大輔監督『忠次旅日記』と『新版大岡政談』をおもう。

さきごろ復刊された関口良雄『昔日の客』に、昭和五年頃、著者が育った信州の山奥の村でコロ柿五貫目を栗島すみ子に送った少年ファンがいたとの話が書かれてある。近隣の笑い話の種になったというけれど、女優に寄せる少年ファンの純情に胸がキュンとなる。

「私が、少年の日に見た活動写真の中の栗島すみ子は、日本の恋人と騒がれ、ファンレターは月に六百通、プロマイドは月に三万枚も売れたという。信州の山村の少年だった私の胸にも、栗島すみ子の名は、憧れの的であったのである」。関口良雄『昔日の客』より。「日本の恋人」に東の横綱の面目を見た。

早大演博の近現代常設展室には演劇やミュージカルとともに丸木砂土こと秦豊吉額縁ショーを演出した帝都座のポスターが展示されている。これにならんで日劇ミュージックホールのスターダンサーだった舞悦子が中心にいる舞台写真一葉もある。こういうところをおろそかにしない姿勢が立派なのだ。

早稲田大学本部キャンパスの銀杏は多くは落葉しているが、黄葉を付けた木々も見かける。写真手前の葉を落とした銀杏と、大隈講堂寄りのそれを較べると好対照で、陽を浴びる時間が長いとそれだけ温かくなるから落葉は遅くなるわけだ。さあ、きょうはこれから銀座へ行かなくちゃ。