洲崎パラダイス

八月下旬に神保町シアターで「洲崎パラダイス 赤信号」を観た。スクリーンでは二度目で、はじめは銀座並木座だったと記憶しているものの、ずいぶん昔と言えるだけでいつの年だったか定かでない。なつかしさとうれしさから翌々日の午後、映画の面影をもとめて洲崎パラダイスの跡地に出かけた。

手許に上の並木座の写真とおなじくデジカメではなくフィルムのカメラで撮った洲崎の写真があって一九九九年六月と記録してある。この時は徒歩で銀座から新富町にまわり佃大橋をわたって月島を過ぎ、そうして相生橋を経て深川門前仲町から洲崎へ出た。洲崎の最寄り駅は地下鉄東西線木場駅。今回はなにしろこの暑さ(老化もあるのかな)だから、地下鉄に乗った。
「洲崎パラダイス 赤信号」は芝木好子の小説『洲崎パラダイス』を原作とする川島雄三監督作品。売春防止法が制定されたのが一九五六年(昭和三十一年)五月、映画はその二ヶ月後の七月に公開された。


冒頭、失業中の義治(三橋達也)とその女蔦枝(新玉三千代)が、行く当てもないままに勝鬨橋からバスに乗る。ふたりとも三十前といったところか。バスは月島を経由して木場から洲崎弁天町へ。ふたりは蔦枝がまえに洲崎の特飲街ではたらいていたこともあってなんとはなしにここで降りる。特飲街の入り口、洲崎橋には「洲 パラダイス 崎」と書かれたネオンのアーチが架かっている。一九九九年の私は映画のバスとおなじ行程をたどりたくて銀座から出発したとおぼしい。
蔦江と義治は橋のたもとにある飲み屋千草に入り、ここで蔦枝は特飲街の娼婦、いわゆるナカの女と一緒に逃げた亭主を待ちつづけながらふたりの子供を育てている女将のお徳(轟夕起子)に頼んで住み込みの女中として置いてもらう。いっぽう義治もお徳の世話で近所の蕎麦屋の出前持ちに雇ってもらう。(小沢昭一扮する蕎麦屋の先輩店員三吉のキャラクターが味わい深い)。こうしてふたりはなんとか就職口と寝床を確保する。

 まもなく蔦枝は千草の馴染み客で、秋葉原電気屋の主人落合(河津清三郎)の妾になる。それを知った義冶は半狂乱になって捜し歩くが蔦江の消息はわからずじまい。
このかんお徳の亭主伝七(植村謙二郎)が洲崎に舞い戻り、夫婦は元の鞘に納まったのもつかのま、伝七は洲崎神社で駆け落ちの相手の女に刺されて死んでしまう。
洲崎神社の裏手。ここで伝七が殺され、お徳が階段を駆け下りるシーンがある。)

義治は蕎麦屋の店員でかれを更生させようとおもいを寄せる玉子(芦川いづみ)の励ましでまじめなかたぎの暮らしを考えるようになった、その矢先、こんどは玉子の存在を知った蔦江がそうはさせじと義治のところへやって来る。
 このままでは生活にくたびれてどうしようもなくなると知ってはいても別れられない男と女。ラストシーンはファーストシーンとおなじ勝鬨橋で、ふたりはまたバスに乗ってどこかの街へ流れてゆく。
敗戦から十年あまり、この映画からほどなくして消えてしまった洲崎特飲街を背景に生活力のないダメ男の義治とそんな男とわかっていても離れられない蔦江という、戦後の新しい波に乗れないチープでしょぼくれた男女を主に、洲崎橋をはさんだナカとソトのさまざまな人生模様の織りなす哀歓と余情を見事に映像化したこの作品にはあらためて感嘆するほかない。