2020-01-01から1年間の記事一覧

「格子なき牢獄」〜コリンヌ・リュシェール断章(其ノ五)        

わたしがはじめて「格子なき牢獄」をみたのはNHK教育テレビ「世界名画劇場」での放送だった。おそらく一九七七年一月に遠藤周作がゲスト出演したときの番組だったと思われるが、遠藤周作と吉田喜重が対談していた記憶はまったくないからあるいは別の日の…

戦時の若者たちとコリンヌ〜コリンヌ・リュシェール断章(其ノ四)

第二次世界大戦後、コリンヌ・リュシェールとナチスとのかかわりは日本にも伝えられた。ところがフランスやアメリカとはちがってこの国では忌まわしい女優とはならなかった、少なくとも忌まわしさの一色には染まらなかった。 『コリンヌはなぜ死んだか』にあ…

「ナチの高級売春婦」の実像~コリンヌ・リュシェール断章(其ノ三)

「嘗て、その美しさと特権によって、ドイツ占領者たちに讃美され、喝采をあびてきたフランス女優ーナチの高級売春婦・カリン・ルチア(コリンヌ・リュシェールの英語読み)は(中略)いまや“国家侮辱犯”として、判決を受けることとなった」 「一九三九年、彼…

「忌まわしい女優」の生涯~コリンヌ・リュシェール断章(其ノ二)

コリンヌ・リュシェールの生涯について「別冊太陽・フランス女優」(平凡社、1986年)をもとにたどってみる。 一九二一年二月十一日パリで生まれる。中等教育を三年で止め、俳優、映画監督のレイモン・ルーローから演技を学び、十六歳で舞台にデビューした。…

「紀元二千六百年の美貌はコリンヌ・リュシェールから!」〜コリンヌ・リュシェール断章(其ノ一)

一九三八年にフランスで製作されヒットした映画「格子なき牢獄」が日本で公開されたのは翌三九年十二月だった。この作品はわが国でもヒットし、主演の新人女優コリンヌ・リュシェールにたいする注目が社会現象となるほどの広がりをみせた。 詩人の堀口大學は…

三月ぶりの山手線

報道関係者と賭け麻雀をしていたとして東京高検の黒川弘務検事長が訓告処分を受けた。辞職願を提出しても受理せず、懲戒処分とし、そのあと退職させるだろうと思っていたので、訓告で済ませ退職願を受理したのには唖然とした。 公立高校に勤務していた身とし…

会わざるの記〜もうひとつの荷風追想

永井荷風が亡くなったのは一九五九年(昭和三十四年)四月三十日、その三周忌を期して霞ヶ関書房というところから『回想の永井荷風』という本が刊行されている。 種田政明を代表とする「荷風先生を偲ぶ会」による編纂で、書名、出版時期からして荷風と接した…

多田蔵人編『荷風追想』を読む

五十九篇の追懐文を収めた多田蔵人編『荷風追想』(岩波文庫)のなかからはじめに鴎外の息子森於兎が「永井荷風さんと父」に書きとめたエピソードを紹介してみよう。 於兎の祖母つまり鷗外の母が心安い上田敏に「永井さんはどんな人?」とたずねたところ「一…

麻生太郎氏における民度の研究

六月四日の参院財政金融委員会で麻生副総理兼財務大臣が日本の新型コロナウイルスによる死者数が欧米諸国より少ない理由を「国民の民度のレベルが違う」と述べたと報じられている。 札幌医科大の調査によると、四日時点の人口百万人当たりの死者数は、日本は…

永井良和『風俗営業取締り』再読

新型コロナ感染症の拡大をうけ五月一日から持続化給付金の申請受付がはじまった。感染症禍のもと営業自粛等で特に大きな影響を受けている中小企業、小規模事業者、フリーランスを含む個人事業者等にたいして事業の継続を支え、再起の糧とするための給付であ…

芳醇な味わいの芋焼酎

どこかの局の報道番組で、現時点で感染症対策が効果をあげている台湾と韓国を取り上げていた。素人の印象だが、両国とも対策にしっかりとした哲学があると思った。台湾の徹底した情報公開にもとづく社会運行(入国管理、ITによるマスクの供給など)、韓国の…

新しいライフスタイルの発見

外出自粛という籠居だが医療スタッフ、スーパー、コンビニ等生活必需品のお店の方々、物流従事者、清掃局の職員といった方々を思うとなにほどのこともない。それにジョギング、散歩が禁止されていないのはありがたい。先日、山中伸弥先生がYouTubeでジョギン…

二重の奇跡~フランクル『夜と霧』

そのうち読もうと思ったのがいつだったか思い出せないほど遠い昔のことに属するヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房)をようやく読んだ。 フランクル(1905-1997)はユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に囚われ、奇蹟的に生還…

浮雲の思い

東日本大震災のときもそうだったが現在の新型コロナウイルス感染症禍においても、わたしがすぐに 手にしたのは『方丈記』だった。自身にとって天変地異について思い、考えるテキストとしてこれ以上の書はなく、今回何度目かの通読ではとりわけ「浮雲の思ひ」…

魅力の巻き込まれ型スリラー〜『魔女の組曲』

ベルナール・ミニエ『魔女の組曲』上下巻(坂田雪子訳、ハーパーBOOKS)を読み、久しぶりに巻き込まれ型スリラーを堪能した。 クリスマスイヴの夜、ラジオパーソナリティのクリスティーヌに差出人不明の、自殺を予告する手紙が届く。それを機に放送中の事故…

時代と訓辞

新型コロナ感染症が拡大するなか新しい年度がはじまった。本来なら企業、官庁では新たにくわわるメンバーが一堂に会し、トップから辞令が交付され、訓辞で新人としての心得が説かれるのが、この春はネットで訓辞が配信されたり、セクション別に辞令の交付だ…

WHOを疑う

この四月に退職して十年目に入った。このかん、本を読むのは喫茶店がもっぱらだったが緊急事態宣言を機にお休みとなった。なじみの居酒屋さんもおなじく。 珈琲もお酒も家飲み専一になったけれど、外出を自粛するだけで感染拡大を抑える一助になるのだから何…

東京オリンピックどころではない

自宅にプリンターがなく昨年度までは税務署へ行って確定申告をしていたが、今年度はマイナンバーカードを取得したのでパソコンで必要事項を記入し、ネットで税務署に送信するだけで済んだ。確定申告のためにマイナンバーカードというエサに喰いつくのはしゃ…

「侍ニッポン」

昭和戦前の貧困層、負け組の心情をうたった最高傑作として昭和十二年(一九三七年)に上原敏と結城道子のデュエットでヒットした「裏町人生」を推す。よろしければ本ブログ二0一八年十二月六日の記事「裏町人生」を参照してみてください。 貧乏・負け組歌謡…

「愛のコリーダ」におもう

「週刊文春」の映画の紹介と短評からなるシネマチャートのコーナーを長年にわたり重宝してきた。ありがたいことに一昨年(二0一八年)五月には四十年におよぶ名物企画を再編集し、洋画二百七作品、邦画五十三作品の情報と評価を掲載した『週刊文春「シネマ…

『古書肆「したよし」の記』

永井荷風は『断腸亭日乗』昭和二年十一月二十五日の記事に「近年文士原稿の古きものを蒐集すること流行し、御徒町の古書肆吉田屋の店などにては屑屋より買取りし原稿を見事に綴直しなどす。されば反古紙もうかとは屑屋の手には渡されぬなり」と書いている。 …

東京五輪延期狂想曲

東京五輪について国際オリンピック委員会(IOC)、日本側ともに予定通りの開催を繰り返し強調していたのに、各国オリンピック委員会や競技団体、選手から延期を求める声の噴出をうけて急遽三月二十四日、一年程度の延期と決まった。 三日前の三月二十一日、…

春泥〜退職十年目の春に(関東大震災の文学誌 其ノ二十)

二0一一年三月十一日の東日本大震災、この月の末日で定年退職したからいま退職十年目がはじまったところである。 職業人としての双六の上がりに待ち受けていた思いもかけぬ事態に衝撃を受け、このかん折にふれて時間をさかのぼり関東大震災にかんする論文、…

無用の人 雑感

「竹林に賢人面や春の暮」(藤田湘子)。 この句に寄せて江國滋が「近年、日本でもむやみやたらに『賢人会議』なるものが催されている。名づけるやつも名づけるやつだが、そんなネーミングの会議に、はずかしげもなくのこのこ出かけていく"賢人諸氏"に対する…

不要不急の外出を控える日をまえに

危機管理の要諦ははじめにドーンと大きく厳しい網をかけて、改善したところから緩めることにある。小池東京都知事はこの週末二十八日と二十九日に不要不急の外出を控えるよう都民に要請した。大きく厳しい網である。 次が個々の問題で、わたしのばあいだと日…

「レ・ミゼラブル」

ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』で、ジャン・ヴァルジャンはモントルイユにある彼の工場で働いていた女工が売春婦となり、病に倒れたのを知り、他家に預けてある彼女の娘を連れ帰ろうとする。ヴァルジャンは娘のいるモンフェルメイユに赴くところで、…

東京五輪と歴史の教訓

東京オリンピックは予定通りの開催に向けてしっかり準備をする。IOCバッハ会長や東京五輪大会組織委員会森会長、安倍首相、小池東京都知事からはそうした発言しか聞こえてこない。感染症が収まり七月二十四日に開会式を迎えられればそれに越したことはない。…

「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」

もう商売をやめて店を畳もうかと思案する孤独な老美術商オラヴィ(ヘイッキ・ノウシアイネン)がある日のオークションで惹かれた一枚の肖像画。画家のサインはなく、モデルがだれかもわからないから商品としてはリスキーすぎるが、魅力には抗しがたくあきら…

「ジュディ 虹の彼方に」

「オズの魔法使い」(一九三九年)やミッキー・ルーニーとのコンビでミュージカル映画に出演していたころの回想とともに描かれたジュディ・ガーランドの晩年、ロンドンでの日々。 彼女が四十七歳で歿したのは一九六九年六月二十二日、当時大学一年だったわた…

「黒い司法 0%からの奇跡」

ハーパー・リーの自伝的小説『アラバマ物語』は一九六0年に発表され、翌年ピューリツア賞を受賞、その翌年には映画化され、原作、映画ともに大きな話題を呼んだ。映画のほうもアカデミー賞主演男優賞(グレゴリー・ペック)脚色賞、美術賞に輝いた。 厳しい…